歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

パレスティナ十字軍王国史話(連載第2回)

一 十字軍四人衆

 

 1095年に時のローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムイスラーム勢力から奪回することを目指して開始された第一回十字軍運動は宗教的熱狂に駆られた集団的運動であり、特定の際立ったヒーローを輩出することはなかった。
 ただ、運動参加者の中でも活躍の目立った人物を数人抽出するとすれば、トゥールーズ伯レーモン4世、フランス貴族フランドル家の流れを汲むブローニュ伯ウスタシュ3世とその二人の弟である下ロートリンゲン公ゴドフロワ、ヴェルダン伯ボードゥアンの三兄弟である。いずれもフランス貴族であるが、十字軍運動の終結後は、それぞれに異なる道を歩むことになった。
 十字軍運動の成果としてエルサレム王国を建国するに際して、初代国王として白羽の矢が立ったレーモン4世はキリストが磔刑に処せられた場所で王となることを拒否して辞退、裕福な経済都市トリポリ(現レバノン北部)の攻略を目指して転戦した。その後、ゴドフロワと対立して十字軍運動を離脱し、トリポリ攻略を独自に目指すも果たせず、没した。
 十字軍の各戦役で活躍が目立ったのはウスタシュ3世であり、エルサレム包囲戦に際しては次弟のゴドフロワとともにエルサレム一番乗りを果たした。その直後に起きた悪名高いエルサレム市民虐殺事件に関してウスタシュ3世の責任は免れないとされるが、エルサレム制圧後は残留せず、故国の領地の統治に専念するため帰還していった。
 なお、ウスタシュ3世は初代国王となった末弟ゴドフロワの死去後、第2代国王に推挙され、一度は承諾したものの、彼の推戴話は立ち消えとなり、最終的には自ら設立した修道院に隠遁し、敬虔な修道士として生涯を終えた。
 こうして年長の二人がエルサレムを去ったため、制圧したエルサレムの暫定統治はまずゴドフロワが引き受けることとなった。とはいえ、まだ十字軍はエルサレムをどうにか押さえたのみで、国としての体を成していなかったので、王は名乗らず、「聖墓守護者」という名義で最高執権者となった。
 そのため、ゴドフロワは十字軍王国の初代国王には通常数えられないが、実質的には彼が最初の統治者と言える。しかし、その支配領域からもせいぜいエルサレム市長プラスアルファ程度の存在であり、その後もエルサレム奪還を狙うエジプトのイスラーム国家ファーティマ朝との戦いを続けた。
 1100年7月の彼の死因について、イスラーム側の史料は戦死とするが、確証されていない。いずれにせよ、ゴドフロワの統治期間は一年にも満たず、生涯独身で継嗣もなかったことから、末弟ボードゥアンが後を継ぎ、正式に初代国王として戴冠した。彼は18年間在位し、王国最初期の基礎を築いた。
 ボードゥアンは兄ゴドフロワとは対照的に生涯三度の結婚によっても子が生まれず、彼がエジプト遠征中の1118年に食中毒により急死した後は、やはり十字軍参加者で同名の従兄弟ボードゥアン・デュ・ブールがボードゥアン2世として跡を継いだ。