序
現在の日本では、女性の天皇は、たとえ男性皇位継承者の断絶という例外状況であれ、法律上認められていないが、知られているように、近世(江戸時代)までは認められていた。これは明治維新後に制定された皇室典範が女性天皇を禁じ、これが憲法に両性の平等が明記された第二次大戦後の新しい皇室典範でも維持されたことによる変遷とその結果である。
その点、海外の君主制にあっては、近代以前には認められていなかった女性の君主(女王)が近現代の法改正によって認められるようになってきたケースが少なくないのに対し、日本では近代以前には認められていた女性君主が近代以降に認められなくなるという完全な逆行を見せていることは興味深い。
しかし、そうした女性天皇の是非論はここでのテーマではない。本連載は日本の歴史的な女性君主たちの登位の経緯や系譜、事績、後世への影響を素描していく小さな試みである。その際、「女性君主」を天皇制確立以後の女性天皇に限定せず、それ以前の内外史料に現れる女王や女性オオキミ、また君主に準じた地位と権勢を持った皇后も君主に準じて取り上げることにする。
その点で、近代以降の皇室典範上は皇后(皇太后・太皇太后を合わせたいわゆる「三后」及び上皇后を含む)にも天皇と同格の「陛下」の称号が与えられていることの意味が意外に見落とされている。
「陛下」とは元来、中国皇帝固有の君主称号であるから、皇帝の正妻たる皇后が「陛下」と称されることは中国王朝の慣習ではあり得ないが、近現代日本の皇室典範では皇后にも「陛下」称号が与えられていることは、皇后も天皇と並び君主に準じた地位と格式を持つこと(天皇・皇后両陛下制)を意味していると理解することもできる。
そうした理解に基づいて、本連載では近代における明治、大正、昭和の三人の皇后も女性君主に準じて取り上げる次第である。ただし、存命中の皇后または皇后経験者についてはまだ歴史上の人物とはなっていないことから、除外し、故人に限ることとする。
なおまた、天皇がいわゆる君主かどうかという政治学的・憲法学的な論争には拘泥しない。近代以降の天皇は少なくとも国際儀礼上は日本の君主としての待遇を受けており、また近世以前の天皇も武家支配の時代における長い政治的閉塞状況にもかかわらず、朝廷の長として個々の武家政権に対して正統性の保証を与える存在ではあり続けたのである以上、君主とみなすことに決定的な不合理性はないと考えられるからである。