歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第8回)

四 倭語の形成①

 日本語は文法構造上アルタイ諸語に近い膠着語の性質を持っていることは定説であるが、こうした北方的な言語構造は、いつどのようにもたらされたのか。この点、村山説をはじめ有力な学説は、弥生時代における言語変容の結果と見る点で一致している。
 しかし、前回論じたとおり、弥生語は縄文語とは別系統ながら南方系であったとするなら、日本語の北方的要素がもたらされたのは、弥生時代ではなく、次の古墳時代以降と推論されることになる。

 このように北方的要素がもたらされた時期はともかく、その内容についてはかつてコリア語との関連性に焦点が当てられ、「日朝同語源論」も提唱されたが、研究が進むと、日本語とコリア語は基礎語彙に相当な齟齬が見られ、共通祖語を持つとは立証されないことが明らかになった。
 この点、村山説では日本語の北方的要素はコリア語よりも、満州語をはじめとするツングース諸語に近いとされ、イヌ(犬)のような基礎単語をはじめ、いくつかの具体例も挙げられている。
 ただ、現代コリア語は、かつての朝鮮三国のうち新羅がはじめて半島統一に成功し、新羅語が全国的な公用語となって以降の中世コリア語を基礎に発達してきたものであるため、それ以前、百済高句麗を含めた朝鮮各国で使われていた絶滅言語との比較対照もしなければ、完全ではない。
 この点、高句麗及びそこから分離した百済を建てた勢力はいずれも扶余族と呼ばれる民族であるが、かれらの言語・扶余語の系統については議論があり、ツングース系あるいは独自の扶余語族を想定する説もある。とすると、日本語の北方的要素については、こうした扶余語との関連性も視野に入ってくる。ただし、高句麗語や百済語はわずかな断片しか残されていないため、比較対照が困難なことが壁となっている。

 いずれにせよ、私見によると、南方的な弥生語に北方的な文法構造が埋め込まれ、再編される形で現代日本語の直接的な祖語となる言語が完成されたものと考えられる。この日本語の直接的な祖語のことを、ここでは「倭語」と呼ぶことにする。
 こうした倭語は、古墳時代を通じて多様に方言分化しながら、東北北部と北海道、沖縄を除く列島全域に浸透していき、飛鳥時代以降、まずは上代日本語として確立を見たものと考えられる。こうした倭語の発展プロセスについては、次回以降検討する。