三 カーブルの都市史
ゾロアスター都市からヘレニズム都市へ
今日のアフガニスタンの形成に決定的な役割を果たした三大都市のうちカーブルは、現在でも首都として存続する最も基幹的な都市である。カーブルはヒンドゥークシュ山脈南部の標高約1800メートルの盆地に位置する高山都市ながら、3000年に及ぶ古い歴史を持つ。
その成立年代や起源は不詳ながら、紀元前1500年頃以降に成立したとされる古代インド聖典『リグ・ヴェーダ』のほか、ゾロアスター教聖典『アヴェスター』にも見えるクブハという町がカーブルに比定されていることからも、当時のインド‐イラン系民族によっても認識されていたことがわかる。
カーブルを中心とする一帯は歴史的にカーブリスタンと称され、現在はパキスタン領であるペシャーワールも含むカーブリスタンはユーラシア大陸東西を結ぶ交易路の交点として経済的にも枢要な地域であった。
他方で、カーブリスタンはパキスタン北西部から延びるより広大なガンダーラの西端を成す地域でもあり、アフガニスタン形成以前から、周辺の諸勢力がこの地域の支配を狙った。
そうした諸勢力のうち、最初にカーブルに実効支配を及ぼしたのはイラン系のメディア王国であった。メディアは紀元前8世紀に興隆したイラン北西部を拠点とする勢力であり、紀元前7世紀に最盛期を迎え、紀元前6世紀半ばに新興のイラン系アケメネス朝ペルシャに征服されるまで存続したイラン系としては最初の領域国家であった。
メディアがペルシャに併合されると、カーブルも自動的にペルシャの支配下に編入されたと見られる。アケメネス朝時代に編纂が進んだゾロアスター教聖典『アヴェスター』で言及されたクブハ=カーブルがとりわけ理想郷して称賛されているように、アケメネス朝時代のカーブルはゾロアスター教学の中心地であった。
政治的な面でも、アケメネス朝の領土拡張に大きな治績を残したダレイオス1世の墓碑の中で、連邦的なペルシャ帝国に属する29邦の一つとしてカーブルが列挙されるほど、その枢要性が認識されていたようである。
やがてアケメネス朝が紀元前330年にマケドニアのアレクサンドロス大王の遠征によって滅ぼされると、カーブリスタン全体がヘレニズム化され、さらにアレクサンドロスの死後はセレウコス朝が継承する中、カーブルもヘレニズム都市として発展していくことになる。