序説
本連載のテーマとなる近世天皇とは、江戸時代に在位した天皇を指す。と言っても、徳川将軍とは異なり、近世天皇の始まりと終わりには二つの時代にまたがるずれが生じるが、在位期間が安土桃山時代から江戸時代初期にかかる始まりの後陽成天皇は含め、即位年は江戸時代の慶応三年ながら、在位期間の大半が明治時代にかかる明治天皇は含めないこととする。
その結果、後陽成天皇から孝明天皇まで、奇しくも徳川将軍と同数の全15代(15人)の天皇が在位した計算となる。その中には、豊臣秀吉の養女を生母とする後水尾天皇や、明正天皇と後桜町天皇という二人の女帝も含まれるなど、近世天皇の顔ぶれはなかなか多彩であった。
この全15代・15人の近世天皇は、系譜的には南北朝合一後の北朝、中でも傍流だった伏見宮家を祖とする一族の子孫であり、始まりの後陽成天皇、その跡継ぎであった後水尾天皇の子孫でもある。―光格天皇以後は閑院宮系となるが、これも伏見宮家の分家である。
近世天皇は幕府から厳しく監視・統制され、天皇制史上最も逼塞していた時期の天皇であり、その実像はあまり知られていないが、歴代の近世天皇は天皇制の将来が不透明な中、複雑微妙な朝幕関係に対処しつつ、復権の時を待つ雌伏の時代を生きた天皇でもあった。
一方、幕府側は天皇・朝廷を監視・統制しつつも、天皇制を廃止して、将軍を天皇に取って替えようとは決してしなかった。その理由は定かでないが、中国のように実力で政権を掌握した軍人がそのまま皇帝として新王朝を開く習慣がなく、将軍は天皇から征夷大将軍として任命されることで権力を保証され、天皇はその地位と権威を保持するという相互的な仕組みが定着していたことが大きな要因であろう。
とはいえ、江戸幕府は過去の二つの幕府よりも一層厳しく天皇・朝廷をコントロールしたがる傾向が強く、それに天皇・朝廷も反発し、江戸時代には朝幕関係をめぐって様々な政治的紛争・事件が続発している。
その大半は幕府側の勝利に終わっているが、天皇も譲歩ばかりしていたわけではなく、かなりの自己主張も行っている。幕末になると、孝明天皇のように、政治的な復権を目指し、積極的に行動する天皇も出現している。本連載では、そうした複雑微妙な時代を生きた15人の近世天皇の実像について、朝幕関係に焦点をあてながら個別的に取り上げて見ていくことにする。