歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

ノルマンディー地方史話(連載第20回)

第20話 アレクシス・ド・トクヴィル

 
 18世紀のフランス革命が収束した後、19世紀のフランスはナポレオン帝政の崩壊後、パリ・コミューンに至るまで革命が連続する「革命の世紀」となるが、ノルマンディーはそうしたパリを中心とした革命の喧騒からは切り離された平穏な地方であり続けた。
 19世紀のノルマンディー地方は何人もの文人・文学者を輩出する地となる。地方的な平穏さがその背景にあったのかどうかはわからない。その中で、革命の渦中にも身を置きつつ、政治哲学者かつ政治家としても活躍したのがアレクシス・ド・トクヴィル(1805年‐1859年)であった。

 
 姓のトクヴィル(Tocqueville)は元来地名であるが、北欧系の要素があり(北欧の人名Tokiに由来)、北欧バイキングの定住を象徴する地名である。ド・トクヴィル家の旧姓はクレレル(Clérel)であったことから、クレレル・ド・トクヴィル家とも呼ばれる古いノルマン貴族である。
 いかに古いかは、遠祖であるギョーム・クレレルという人物が1066年のノルマンディー公ギョーム2世(イングランド征服王ウィリアム1世)によるイングランド征服にも従軍した戦友として名が見えることからもわかる。
 17世紀後半に、先祖のシャルル・クレレルが15世紀に遡るトクヴィル城を取得して城主となり、地名を取って新たな姓として以来、ド・トクヴィル家が始まる。この家系は近世に入ると、代々司法官を世襲するいわゆる「法服貴族」に列した。

 
 そうした事情から、アレクシスも当初は家門の伝統に従い司法官となったが、彼を最も有名にし、今日でも政治哲学及び政治学の古典として読み継がれている主著『アメリカの民主主義』も、司法官としてアメリカの刑務所制度を視察するため、アメリカへ派遣された際の見聞を契機としている。
 二巻から成る『アメリカの民主主義』は当時はまだ稀有であった民主的な共和政体のアメリカ社会を詳細に分析し、自由平等に根差す民主社会を称賛しつつも、世論による専制、多数派による暴政、知的自由の欠如、党派政治の凶暴化、衆愚化など今日のアメリカ社会のありようを予見するような短所分析も含んでいる。
 このアメリカ経験は彼に政治家への転身の動機も与えたと見え、七月王制下の1839年、議会選挙に立候補、トクヴィル城があったマンシュ地方ヴァローニュの議員に選出され、1851年のルイ・ナポレオン・ボナパルトによるクーデターまで再選された。

 
 この間、1848年の二月革命に続く第二共和政はド・トクヴィルが進歩派の政治家として最も活躍した時期であり、革命後、彼は普通選挙によって制憲議会に選出され、他の17人の議員とともに第二共和政憲法の起草を担った。49年には立法議会議員に選出され、短期間ながら外務大臣も務めた。
 しかし、クーデターで帝位に就いたルイ・ボナパルトの反動的な帝政には批判的で、地元マンシュ県議会議長として新皇帝への宣誓を拒否し、政界を引退した。彼の第二の主著とも言える『旧体制と革命』は政界引退後の研究生活の中で1856年に執筆されたド・トクヴィル晩年の歴史社会学的な名著である。