弾左衛門矢野氏列記
五 矢野弾左衛門集村(1698年‐1758年) 4代目弾左衛門集久が死去した後、公式には孫の集村(幼名・浅之介)がわずか12歳で襲名したことになっているが、浅之介には父・吉次郎がいた。吉次郎は正式の襲名前に死亡したものと見られているが、死亡年…
四 矢野弾左衛門集久(?~1709年) 4代目弾左衛門集久は幼名を介次郎といい、祖父や父と同様に次男のようである。4代目集久は、曾祖父に当たる初代から三代にわたる時代に整備された弾左衛門制度の基礎の上に、歴代最長の40年間在職し、後述のよう…
二 矢野弾左衛門集季(?~1640年) 弾左衛門を先代から襲名した最初の世代となる2代目弾左衛門は幼名を小次郎といい、次男と見られる。その点、初代には関ヶ原の戦い当時15歳の小太郎という長男と見られる一子があって、天然痘に感染したが、白山神…
一 弾左衛門矢野集房(?~1617年) 弾左衛門初代となる矢野集房(または集方)は、江戸幕府開祖・徳川家康と同時代をほぼ並行的に生きた人物であるが、その実像は弾左衛門歴代の中で最も不確かである。その点、徳川=松平氏始祖とされる松平親氏と同様…
序 弾左衛門矢野氏は、江戸時代、士農工商四身分の外にあった下層民(えた/ひにん)の頭領として、刑罰の執行役をはじめ、えた/ひにんに任された業務を統括した幕府役人であった。弾左衛門はその職名であり、矢野氏はその職を代々襲名・世襲し、江戸時代の…