歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

ユダヤ人の誕生(連載第18回)

Ⅵ ユダヤ人の確立

(17)キリスト教徒の分離
 キリスト教創始者ナザレのイエスが生まれたのは、ヘロデ大王末年の紀元前4年とされる。新約によれば、ヘロデ大王は新たな王がベツレヘムで生誕したとの情報を得て、ベツレヘムの2歳以下の男児全員の殺害を命じたため、イエスの両親はエジプトに避難し、イエスは殺害を免れたという。
 この逸話の信憑性はともかくとしても、猜疑心がひときわ強いヘロデ大王は自らの王朝に対する脅威を取り除くためには残酷な粛清も辞さなかったから、イエスのような幼児のエジプト避難もあり得なくはなかっただろう。
 いずれにせよ、イエスは大殺戮を生き延び、やがて洗礼者ヨハネから受洗される。イエス・キリストの先駆者と目されるヨハネは、前述したようにヘロデ大王の息子で後継領主ヘロデ・アンティパスの異母兄妻との再婚を姦淫として非難したため、捕らえられ、斬首される。
 イエスはやがて、ヨハネとは別に従来のユダヤ教とは異なる新たな宗教活動を開始する。イエスの教えの基本にはユダヤ教保守派パリサイ派の厳格な形式主義に対する批判とともに、ハスモン朝以来、権力と結びつきつつ神殿を支配し、商業活動にも手を染めていた現世的なサドカイ派双方への批判があった。
 パリサイ派サドカイ派は表向き対立関係にあったが、イエスが両者を敵に回したことは、もはやユダヤ教全体と敵対するに等しかった。特にイエスが神殿から御用達商人の追放を訴えたことは、商人と癒着関係にあったサドカイ派祭司らの反感を買った。ために、イエスは彼を反ローマの政治犯に仕立てるサドカイ派の策略によって宗主国ローマ当局に告発され、サドカイ派の主張を受け入れた当局によって磔刑に処せられたのだった。
 しかし、「キリスト復活」の奇跡―伝承―に象徴されるように、イエスの教えは当時の形式化し、腐敗したユダヤ教の現状を受け入れられない人々の間で継承発展されていき、ユダヤ亡国・離散後には、ユダヤを超えてギリシャを含む地中海域に広く伝道されていくようになる。
 こうしてイエスの教えに感化され、ユダヤ教を離脱し、キリスト教に改宗するユダヤ人が続出したことは、逆にユダヤ教にとどまる保守的なユダヤ人の存在性を強め、ユダヤ人概念をいっそう確立することとなった。
 亡国後のユダヤ人は地中海域から欧州にも離散・移住していったため、同じ地域に伝播されていったキリスト教とは競合的な関係を強めたことから、ユダヤ教に改宗した異民族をも新たに加えつつ、ユダヤ人=ユダヤ教徒の存在性は際立つようになり、やがてそれぞれの地域でのユダヤ人迫害・差別の風潮をも作り出すようになる。