歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

アフガニスタン形成史(連載第3回)

二 アフガニスタンの形成概観

 

 山岳国家アフガニスタンにおいて、北東部の首都カーブルと南部のカンダハル、北西部のヘラートは人口が集中する三大都市として枢要な位置を占めているが、近代以降のアフガニスタンは各々異なる歴史を持つこの三大都市が基軸となって形成された。

 そもそもアフガニスタンは同国の相対多数派民族パシュトゥン人(別称アフガン人)によって18世紀に建国されるまでは統一性を持った国ではなく、上記三大都市(及びその周辺地域)のいささか不安定な収斂的統合の産物であったと言える。

 三大都市の中でパシュトゥン人の主要拠点であるカンダハルといえども、パシュトゥン人の拠点となったのはせいぜい過去300年程度のことであり、元来三大都市はインド、イラン、ギリシャ(ヘレニズム)、イスラームの各先行諸文明圏の外延部とも言える場所であった。そうした意味で、アフガニスタンは交差・混交する諸文明のるつぼの中から時間をかけて形成された国家である。

 最終的に10世紀までにイスラーム圏となり、大多数がムスリムであるパシュトゥン人によって建国され現在に至るアフガニスタンの歴史は、イスラーム化以前と以後とに大別することができる。とりわけイスラーム化の過程では、7世紀にアラブーイスラーム勢力の征服を受け早くにイスラーム都市となったヘラートが拠点となる。

 一方、アフガニスタンは北方及び東方からの騎馬遊牧民勢力の来襲にも見舞われている。その最初の大規模なものは、6世紀に今日のアフガニスタン東北部に勃興したエフタルの来襲である。エフタルの民族的属性は今日でも謎のままであるが、往時超域的な遊牧帝国を築いたエフタル集団の少なくとも一部はパシュトゥン人に同化したという説も有力である。

 さらに13世紀には東方からモンゴル人勢力、続いて14世紀には中央アジアからモンゴルの血を引くイスラーム系ティムール勢力の来襲があり、とりわけヘラートはティムールが創始した帝国の首都となって繁栄した。

 このようなアフガニスタン形成の特異な歴史に照らし、18世紀のアフガニスタン建国以前を扱う本連載では、上掲三大都市の歴史を基軸的に概観しつつ、最終的に統一国家へと収斂・統合されていく過程を追いかけることにしたい。