歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第18回)

七 琉球語の位置づけ

 日本語の発達を考えるうえで無視できない個別問題は、琉球語の位置づけである。琉球語は基本的な構造や語彙において、本土の日本語とかなりの共通点を持ちながらも、独自の発音体系や語彙も擁するという微妙な位置にあるため、方言なのか、独自言語なのかをめぐって専門家の意見も分かれている。

 この点、本土の平安時代頃に至るまで石器時代が長く続いた琉球の成り立ちから考えれば、元来は本土とは異なる言語が成立していたと見るべきであろう。*遺伝的には、沖縄人に本土日本人では少数派のハプログループM7aを持つ割合が比較的高い。
 これが根本的に変化するのは、12世紀頃、琉球も農耕社会に入ってからである。この革命的な社会変化の触媒となったのは、九州地方を中心とする本土人の移住であった。この移住は、琉球人を形質上も本土日本人と同質的なものに転換してしまうほどの大移住だったと考えられる。
 それだけまとまった規模の移住民があれば、原琉球語に代わって、本土日本語が共通語化する言語交替も説明できる。ただし、そうした外来土着言語の常として、先行現地語の特徴(琉球語の場合は特に発音)を相当に吸収したため、琉球語は特有の方言性を帯びることとなった。よって、琉球語は日本語と全く別個の独自言語ではなく、日本語の方言ということになるだろう。

 ちなみに、言語専門家は方言をその固有性によって分類するということをしないが、方言にも標準語からの偏差には濃淡があり、最大限度では、標準語との間に部分通訳を必要とするほど偏差が大きい場合もある。そのような方言を「強方言」と名づけるとすれば―その対語は「弱方言」―、琉球方言は日本語の強方言と言えるだろう。

 実際のところ、琉球方言はそれ自体がさらに北部方言と南部方言とに下位区分され、琉球王国時代の支配中心は北部方言域にあり、特に首里方言が公用語であった。これに対し、元来は独自の文化を持っていた先島諸島を中心とする後者は「方言の方言」としての固有性を持つ。南部方言は、琉球王朝の支配が先島諸島へも及ぶ過程で、長く維持されていた独自言語が琉球語化されていったものと考えられる。