八 ガンニバルの子孫Ⅱ
ガンニバルの後裔として最も著名なのは、ロシア近代文学者アレクサンドル・プーシキンである。おそらく、彼の存在のおかげでガンニバルの名も後世に記憶されたと言えるかもしれない。プーシキンはガンニバルの息子オシップの娘ナジェージダの息子であり、従って母方からガンニバルの曾孫に当たる。
プーシキンの父方プーシキン家もロシア人貴族であり、プーシキンは両親ともに貴族という名門家系に生まれている。文学者プーシキンの業績はここでの主題から外れるので論及しないが、曽祖父との関わりでは、最晩年にガンニバルをモデルとする人物を主人公とする歴史小説『ピョートル大帝の黒人』(未完)を著した。
この小説は主人公をエチオピア人とする設定になっているが、これはガンニバルの女婿によるガンニバルの評伝の説を下敷きにしており、その根拠は疑われている。おそらく数奇な経歴の家祖をアフリカでも長い歴史を持つ古王国であるエチオピアに結びつけたいという親族の念慮が働いたのだろう。
プーシキンは政治的には改革派に与し、当時の専制的な帝政ロシアには批判的な立場を採ったために当局から迫害・監視の対象とされるなど、波乱の多い人生を送ったが、こうした批判的知識人としての生き方には、彼のアフリカ・ルーツのアウトサイダー的な自覚が投影されていたかもしれない。
プーシキンは決闘による負傷がもとで38歳にして早世したが、四人の子を残した。このうち、末娘ナターリアは当初ロシアの軍人に嫁いだが、ドイツのナッサウ公国公子ニコラウス・ヴィルヘルム・フォン・ナッサウと不倫関係となった末に貴賎結婚するというこれまた波乱の生涯を送った。この結婚の結果として、二人の子孫はメーレンベルク伯爵の称号を与えられた。
現在ドイツの貴族称号は形式的なものに過ぎないが、ガンニバルの血統はナターリアを通じてメーレンベルク伯一族に続いている。またフォン・ナッサウとナターリア夫妻の長女でロシア皇族と貴賎結婚したゾフィーの二人の娘の子孫は英国貴族である。
中でもゾフィーの次女ナジェージダはヴィクトリア女王の曾孫に当たる英国貴族ジョージ・マウントバッテン(第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵)と結婚したため、英王室の縁戚でもあるミルフォード・ヘイヴン侯爵家にもガンニバルの血統が流れている。
このようにして、ガンニバルの血脈はプーシキンを経由しつつ、女系で欧州貴族家系に継続されているのである。アフリカ黒人奴隷としては、これほどの“栄進”は歴史上なかったであろう。奴隷制がアフリカとヨーロッパを数奇に結合させたのであった。