歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

神道と政治―史的総覧(連載第8回)

三 律令神道祭祀の確立

神祇官の創設
 持統天皇時代に最初の整備がなされ、彼女が準備した続く奈良朝下で完成を見た日本型律令体制においては、神道の管理も律令的統治の中に明確に位置づけられた。朝廷の祭祀を統括する神祇官の職制がそれである。
 神祇官は一般行政を統括する太政官とは別途、形式上はその上位に位置づけられる上級官署であったことからも、天皇王朝が統治上神道をいかに重視したかが看て取れる。
 もっとも、神祇官長官職である神祇伯の官位は従四位下とされ、太政官長官職で実質的な宰相格であった左大臣の正二位または従二位相当に比較しても低位であったから、神祇官の優位性はまさに儀礼的な意味合いにおいてにほかならず、神祇官が国政において主導的な役割を果たすことはなかった。その意味では、律令天皇王朝は厳密な意味での「祭政一致」ではなかったとも言える。
 とはいえ、神祇官職掌は朝廷の祭祀に始まり、諸国の祝部名帳や神戸戸籍の管理、大嘗祭・鎮魂祭の挙行、巫や亀卜のような秘儀に至るまで、神道に関わるおよそすべての業務を司り、現代風に言えば宗務行政庁としての役割を果たした。
 神祇伯の初例は必ずしも明確でないが、記録上は大宝律令制定前、持統天皇に任命された中臣大嶋と目されることは元来、中臣氏が神官職を所掌してきたことからして順当である。中臣氏はやがて、持統天皇の寵臣として律令制整備に尽力し異例の立身を果たした傍系同族の藤原不比等の子孫のみが藤原姓を許されたことに伴い、本宗家中臣氏が神祇官職を歴任する家系として確立された。
 神祇伯世襲職ではなかったが、大嶋以降、奈良時代中頃までは歴代中臣氏が独占しており、何代かの中断をはさんで大中臣氏と改姓し、さらに平安時代初期まで神祇伯を独占し続けた。言わば、祭祀は中臣氏が、政治は同族藤原氏が分担する体制ができたわけである。
 一方、実際の祭祀や亀卜など秘儀の実務を行なう職掌として、神部や卜部といった下級職があったが、中でも卜部は亀卜を主任務とする職掌であり、地方から卜術に優れた者が抜擢された。そうした中、その名も卜部氏が中央貴族集団として形成され、やがて天皇専属の亀卜職たる宮主職を独占するに至るのである。