歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第11回)

四 倭語の形成④

 古墳時代以降の倭語形成において先行的な基盤言語となった伽耶語とはどんな言語だったのだろうか。残念ながら伽耶語は古代に絶滅言語となり、系統的な文字史料は残されていない。ただわずかに朝鮮三国の歴史を叙述する『三国史記』で、「旃檀梁」という語の語尾「梁」が「門」を意味する伽耶語として紹介されているのみである。
 その発音は漢字音からは導出できないが、中国側の史書三国志東夷伝では伽耶の前身弁韓諸国の言語は後に新羅が出た隣接する辰韓諸国のそれと類似していると記されている。ただし、より後世の『後漢書東夷伝では両言語は異なるとされ、齟齬がある。
 この齟齬をどう解釈するかは難しいが、『三国志』が書かれた3世紀末頃から『後漢書』が書かれた5世紀前半までの間に伽耶語が独立的に分岐し、辰韓系言語との隔たりが生じていたことを反映するものと考えることもできる。
 歴史的には弁韓辰韓は協調関係にあり、共に同時期に遼東半島方面から南下し、一時は漢江流域に共同して辰国を建てたとされる経緯もあり、習俗・言語が近似した集団だった可能性は高い。

 その推定が正しいとすると、弁韓系の伽耶語は辰韓系の新羅語とも類似していた可能性が出てくる。新羅語は新羅が半島統一を果たしたことで半島全体の公用語となり、これを基盤に高麗時代を経由して中期コリア語、さらには現代コリア語にも継承されている。
 この新羅語と倭語の関係性も問題となるところであるが、奈良朝の時代に新羅征討計画に関連して新羅語通訳の急養成がなされたという史実から、この時代の日本語と新羅語の間では通訳を必要としたことがわかる。
 現代日本語とコリア語の間にも引き継がれている若干の共通語彙の存在は、遡れば、倭語と新羅語そのものではなく、新羅語と類似していた伽耶語からの継承関係の痕跡かもしれない。この点で注目されるのは、感覚に関わる目・鼻・耳・口にまつわる単語の対応関係である。

目:nun か(額)[ぬ+か:目の辺?]
鼻::k'o ぐ(嗅ぐ)
耳:ky く(聞く)
口:ip う(言う)

 両者は感覚器官を表わす名詞とそれに関連する名詞ないし動詞という違いはあるものの、最も日常的な感覚にまつわる語彙に関して同一語源に由来する可能性を示唆する対応関係が現代コリアと日本語の間にも認められるのは、新羅語類似の伽耶語が倭語の基層にあった可能性を推認させるかすかな痕跡である。