歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

ノルマンディー地方史話(連載第11回)

第11話 「ノルマン人征服」後のノルマンディー

 
 ノルマンディー公ギヨーム2世が力づくでイングランドを征服し、ノルマン朝イングランド国王ウィリアム1世として即位すると、ノルマンディーの位置づけはいささか微妙になった。初代ロロ以来の本拠地ノルマンディーを手放したわけではないが、征服地イングランドのほうが広く豊かであったから、ノルマン朝にとってはイングランドが本拠となり、ノルマンディーは海峡を越えた飛地のような扱いとなった。
 征服王ウィリアム1世は、その死に当たって、イングランドとノルマンディーを分割相続させることにし、ノルマンディーを長男のロベール(2世)に相続させた。本来なら、長男ロベールがイングランド王位を継ぐのが自然だが、元来反抗的で統治能力も疑問視されていたロベールにはイングランド王位を継がせなかったのである。

 
 他方で、征服王はイングランド王位の継承者を指名しなかったため、ロベールとその弟で三男のウィリアム2世の間で争いとなるが、最終的に互いが互いの後継者となることで和解した。
 しかし、ロベールはノルマンディー統治より十字軍に惹かれるロマンチストであった。彼は、ノルマンディー領を担保にウィリアム2世から借財して十字軍に参加するなど、ノルマンディーを単なる不動産のように扱っていた。
 ロベールが十字軍から帰還する途中、ウィリアム2世が狩りの際に事故死したため、和解条件によれば、ロベールがイングランド王位を継ぐはずのところ、もう一人の弟ヘンリーが機先を制して王位に就いてしまった。
 激怒したロベールは武力侵攻してヘンリーを打倒せんとするも、支持が得られず敗退。その後もヘンリーと王位を争い続けるが、最終的に1105年、ノルマンディーに逆侵攻したヘンリーによって翌年捕らわれ、公位剥奪の上、80歳過ぎまで生涯投獄される運命を辿った。

 
 こうして、ヘンリー1世はノルマンディーの「逆征服」という手段で兄を追い落とし、ノルマンディー公位を兼ねることになったので、以後は、イングランドとノルマンディーは統合的に統治された。
 しかし、ヘンリー1世の王太子ウィリアムが英仏海峡で発生した王室艦船ホワイトシップ号の沈没事故により早世した後、失意のヘンリー1世が死去すると、甥に当たるフランス貴族ブロワ伯エティエンヌ(スティーブン)がイングランド王兼ノルマンディー公に強引に就いてしまった。
 実際のところ、事故死したウィリアム以外に男子継承者のなかったヘンリー1世は娘のマティルダに継承させる意向だったため、正当な王位・公位を主張するマティルダとスティーブンの間で20年近くに及ぶ内戦に発展した。

 
 この骨肉争いは、スティーブンの死後、マティルダと夫のフランス貴族アンジュー伯ジョフロワ・プランタジネットの間の子息アンリがイングランド王位兼ノルマンディー公位を継承することで和解したため、アンリがイングランド王ヘンリー2世として即位すると、ノルマンディーはヘンリー2世以後のプランタジネット朝所領に落ち着いた。
 これにより、ノルマンディー公家は形式上は消滅し、ノルマンディーは隣接するアンジュー地方を本拠としたプランタジネット家の領土となった。イングランドも併せれば、広大な所領を持つため、「アンジュー帝国」とも呼ばれたゆえんである。
 もっとも、血脈という点では、ヘンリー2世の母マティルダを介して、ノルマンディー公家の血脈は以後の英国王家に継承され、フランスでも、カペー朝二代目ロベール2世の母方祖母で初代ノルマンディー公ロロの娘アデルを通じて以後のフランス王家(及びそこから派生したスペイン王家)にも継承されるというように、母系を通じて受け継がれた。