歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第6回)

五 ゲルマン時代/ビザンティン時代の言語事情

 ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の弱体化、それに付け入る形でのゲルマン人の膨張・大移動という地政学状況の変化は、それまでローマ帝国支配下にあったシチリアとマルタの言語事情にも微妙な影響を及ぼした。
 シチリアには440年、ゲルマン系ヴァンダル人がガイセリック王に率いられて侵攻し、ヴァンダル王国の版図に編入した。その後、476年以降は、衰退したヴァンダル王国に代わって同じゲルマン系東ゴート王国が侵攻し、535年までシチリアを支配する。
 この間、シチリアはおよそ100年近くゲルマン系王国の支配下に置かれていたのであるが、そのわりにゲルマン語の影響性はほとんど見られない。ごくわずかにゴート語の影響を残す単語が散見される程度で、ローマ時代に礎石が置かれたラテン系のプロト・シチリア語の構造は変化しなかったと見られる。
 これは、ゲルマン系王国のシチリアでの支配密度がさほど高くなく、ゲルマン語を公用語として強制するほどには強力な統治が行われなかったことを示している。
 ローマ時代、シチリアと包括して属州化されていたマルタも同様に、454年から464年まではヴァンダル王国、464年から533年までは東ゴート王国支配下に置かれたと考えられている。しかし、ここではその支配を示す考古学的証拠すら未発見であり、支配密度はシチリア以上に低かったようである。そのため、マルタ語にゲルマン系言語の痕跡を見出すことはできない。
 シチリア・マルタのゲルマン支配は、ともに6世紀前半には終焉し、続いて支配者となるのは東ローマ=ビザンティン帝国である。ビザンティン帝国は、ローマ帝国の中世における継承者として、当初はラテン語公用語としながらも、それ自身が多言語国家であった。
 とはいえ、ビザンティン帝国の実態はギリシャ人主体の国家であり、共通語(7世紀以降は公用語)はギリシャ語であった。このビザンティン・ギリシャ語、または中世ギリシャ語と呼ばれる新しいギリシャ語は、ビザンティン帝国内のリンガ・フランカとしてもラテン語以上に普及していた。そのため、シチリア・マルタでも広く通用したはずである。
 特にシチリアではギリシャ語が広く使われたが、現代シチリア語に占める15パーセント弱のギリシャ語起源の単語が、ギリシャ植民時代のギリシャ語と、ビザンティン時代のギリシャ語のいずれに由来するか、またはギリシャ語を取り込んだラテン語を経由しての摂取なのかは同定し難く、ビザンティン・ギリシャ語固有の影響性いかんは測り難い。
 一方、現代マルタ語におけるギリシャ語の影響は認められない。これは、ビザンティン時代のマルタの戦略的重要性が限られていたことに加え、後のアラブ人支配の時代の刻印が圧倒的に強く、言語基盤そのものを上書きしてしまったことによるのであろう。