歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

ユダヤ人の誕生(連載14回)

Ⅴ ローマ支配から亡国まで

(13)最初のユダヤ人・ヘロデ大王
 ハスモン朝を倒したのは、ローマ帝国と結んだヘロデであった。彼は元来ユダヤ民族ではなく、イドマヤ人の出自であった。聖書上、イドマヤ人はユダヤ民族始祖ヤコブの兄エサウを祖とする兄弟民族にして、ダヴィデ王時代に服属したとされるから、おそらくは原カナン人として同系民族集団から出ているのであろう。
 しかし、かれらはダヴィデ時代ではなく、ハスモン朝最盛期のヨハネヒルカノス1世時代に征服され、ヘロデの青年時代にはユダヤ民族の支配下にあった。前回先取りしたように、ヘロデはハスモン朝末期のヒルカノス2世に使えた武将・政治家アンティパトロスの息子で、彼自身もガリラヤ知事を歴任し、政治的な重鎮となる。
 ヘロデはローマ帝国と結んだ父の死後、ローマ三頭政治首脳の一人マルクス・アントニウスの支持者となり、その後ろ盾を得て、ハスモン朝最末期の王位継承抗争を利用しつつハスモン朝を打倒、自ら新王朝を開いた。
 聖書では、ヘロデ大王というと悪逆の暴君として描かれる。たしかに彼は王権維持のためには粛清をためらわず、一応史実として取れるだけでも、ハスモン朝一族やユダヤ教高位聖職者のほか、自らの王妃や王子さえ粛清・処刑したため、「狂王」とすら呼ばれることもある。
 だが、それだけでヘロデの評価を決するのは早計かもしれない。ヘロデを否定的に見る者でもヘロデの功績として評価するのは、エルサレム神殿の改築事業である。「ヘロデ神殿」とも呼ばれるこの神殿は、バビロン捕囚からの帰還後に再建された「第二神殿」の大拡張工事として行われ、その威容は今日イスラエル博物館の模型を通じて知ることができる。
 王としても、ヘロデは当時中東まで触手を伸ばしてきていたローマ帝国ユダヤ王国の間に介在して、ローマに服属しつつ一定の自治を確保し、無能力化したハスモン朝に取って代わってユダヤ王国をしばらくの間延命させた功績を認めることができる。
 しかし、何と言ってもヘロデ最大の功績は彼自身最初のユダヤ人となったことであった。ここで言う「ユダヤ人」の意味は、ユダヤ民族ではなく、ユダヤ教徒という今日的な意味におけるそれである。
 実際、ヘロデは民族的には非ユダヤ系でありながら「ユダヤの王」として紹介されることが多いのも、彼がユダヤ教徒であり、ユダヤ化していたからにほかならない。その意味で、彼はまさに「ユダヤ人」であった。ヘロデは民族籍と宗教を切り離し、「ユダヤ教徒ユダヤ人」という新定義を―おそらくは自ら意識しないまま―率先して体現していたのである。