歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

仏教と政治―史的総覧(連載第36回)

十二 現代政治と仏教

宗教対立の中の仏教①
 仏教が政治的な優越宗教として他宗教との間で深刻な対立紛争を引き起こす例は多くないが、戒律が厳格で保守的な上座部仏教系においてはいくつかの事例が見られる。中でも、スリランカ内戦は最も代表的かつ深刻な一例である。
 上座部仏教の源流地スリランカでは、英国植民地統治下で一時仏教は閉塞したが、キリスト教に押さえ込まれることなく生き延び、19世紀後半以降はアナガーリカ・ダルマパーラのようなシンハラ知識人を中心に仏教を精神的な基盤とするナショナリズムが興隆する。
 一方、スリランカには古くから多くはヒンドゥー教徒のタミル人が居住していたことに加え、英国は紅茶プランテーション労働力としてインドから移入したタミル人を優遇し、その子孫は1948年の独立後も定住化したため、スリランカ・タミル人は少数派ながら無視できない勢力となった。
 そうした中、独立後のスリランカでは植民地時代の反動から、多数派シンハラ人によるシンハラ優越主義の風潮が強まり、選挙権の剥奪などタミル人差別が構造化されていった。その際、シンハラ支配層側は仏教を至高宗教と位置づけたことから、この両民族の対立は、宗教上は仏教対ヒンドゥー教の対立として現れることになった。
 タミル人側は対抗上、独立国家タミル・イーラムの樹立を目指し、1970年代半ばから活動家ヴェルピライ・プラバカランを指導者とする武装ゲリラ組織「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)を結成して、分離独立運動を開始する。
 この対立は1983年以降、完全な内戦に突入する。LTTE武装化を進め、ゲリラ戦と大統領暗殺などの爆弾テロを併用しつつ、北部の都市キリノッチを拠点として事実上の占領地を設定した。内戦は親タミル派のインドの介入が失敗した後、ノルウェーの中立的な仲介により和平が成立するかに見えたが、これも挫折した。
 最終的には、2006年から政府軍による大規模な掃討作戦が展開され、09年、LTTEの実質的な降伏宣言とそれに続くプラバカランらLTTE指導部の全員殺害を経て、内戦はシンハラ政府軍の全面勝利に終わった。
 この四半世紀余りに及んだ内戦は、政府軍・LTTE政府軍双方による非人道的な戦争犯罪合戦の様相を呈し、犠牲者は最大推計で10万人に達する。
 09年以降は、内戦からの復興と民族的・宗教的和解のプロセスの段階にあるが、シンハラ人優位の構造は内戦勝利によりいっそう強化され、なおタミル人差別・迫害が続いているという報告もあり、楽観を許さない状況である。