歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

天皇の誕生(連載第5回)

第二章 「神武東征」の新解釈

(2)天孫族の出自

降臨神話の真相
 天孫ニニギは高天原から「筑紫の日向」に天降った。そして、その曾孫に当たる神武はそこから畿内に東征する━。
 こう推定してみたいのだが、それにしても天孫が文字どおりに天から降ったのではないとしたら、天孫族とは一体何者なのであろうか。これは、「神武天皇」の素性を明かす問いでもある。
 解答のヒントは降臨神話の中に隠されている。実は『記』では、ニニギが降臨した直後の詔として、「此地は韓国に向い、笠沙の御崎を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚き地。」と宣したことが記されている。これは宮地選定の詔として重要であるにもかかわらず、『書紀』では完全にカットされている。
 この詔で注目すべきは、大要として「韓国」に向っているから「吉き地」だと明言されていることである。この一句で、天孫の降臨地が海を越えて「韓国」に面している「筑紫の日向」であることが裏づけられるばかりか、天孫の出自も明かされているのである。
 つまり、「韓国」に向っていることが「吉き地」だというのであるから、これは天孫自身が「韓国」の出身であることを示唆するものと読むのが自然である。祖国を望見できるロケーションであるがゆえに「吉き地」なのである。
 このように、先の詔には天孫の出自を明かす重要なカギが含まれているために、政治的に微妙な点があり、『記』より政治的な意図から国定史書として編纂された『書紀』には掲載されなかったと考えられる。

双子の建国神話
 ところで「韓国」とは、古代には加羅国、つまり『記』が「任那」と称した朝鮮半島南部・洛東江流域の加耶諸国、中でも最南端・現在の慶尚南道金海[キメ]市にあった金官加耶国を指していた。
 そうすると、天孫が海のかなたに望見した祖国の「韓国」もこの金官加耶国ではなかったかと推定できる。実はつとに、この金官加耶国の建国神話と、倭国の建国神話でもある天孫降臨神話との酷似性が指摘されてきた。
 金官加耶建国神話では、王朝開祖・金首露[キム・スロ]は「亀旨峰」という峰に、その所の王たれとの天命を受け、布に包まれた金合子の中に黄金卵の形で降臨したとされる。
 これに対して、天孫降臨神話では、皇祖ニニギが高天原の神から葦原中国を統治せよとの命令を受け、「真床追衾[まとこおうふすま]」なる寝具に包まれて「久士布流多気という峰に降臨したとされ、金官加耶建国神話のほうが卵生神話の形を取っている点を除けば、双子のように酷似している。
 とりわけ、ニニギが天降った地点である「久士布流多気」がキーワードである。この「久士」は金官加耶建国神話で金首露が降臨する「亀旨」と通ずる。これは金官加耶国があった金海市北東にある亀山[クサン]に比定されている。おそらく、その名もズバリ可也山(=加耶山)と同様、故国の山にちなんだ命名なのであろう。
 やや難解なのは、「久士布流」の「布流[フル]」の部分である。この点、『書紀』が引用する別伝第二書と第四書では「くし(木偏に患)日」と記されている。ここで「日」は「火」に通ずるところ、韓国語で「火」(または「明かり」)のことを「プル」というから、プル→フルという転訛を想定できる。
 ではなぜ「火」なのかといえば、金官加耶国を含む加耶諸国、すなわちかつての弁韓の地は、『魏志』の中で「国は鉄を出だす。韓・・・倭は皆ほしいままにこれを取る。」と記されたとおり、鉄の産地であったことに関係する。実際、この地方には、火王郡、推火郡、赤火県等々、火にまつわる古地名が数多い。金官加耶国開祖・金首露もこの地の製鉄王であったに違いない。
 一方、天孫族には「火」の付く名前が多い。まず、ニニギ自身からして、フルネームは「天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊[アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ]」と「火」が付くし、その子の火照命火遠理命彦火火出見尊)、火明命、神武天皇の本名・彦火火出見(祖父と同名)など、天孫族=火氏と言ってもよいほどなのである。
 要するに、天孫族とは金官加耶国から北九州の糸島半島付近へ移住してきた渡来集団の神話的象徴であり、天孫降臨とはまさにその渡来プロセスの神話化にほかならないと推定できるのである。