歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

インドのギリシャ人(連載第1回)

 エピローグ


 かつてインドにギリシャ人の王国があった。といっても、紀元前2世紀から紀元1世紀頃までの一時期であり、持続的ではなかった。このインドのギリシャ人たちがどのようにしてインド亜大陸に到達し、植民したかはよくわかっていないが、本国を離れて各地に移住することを厭わなかった古代ギリシャ人のことである。
 それにしても、環地中海域への移住・植民が大半を占めた中、はるばるインドまで到達し、植民した古代ギリシャ人は例外的であったようであり、これが、古代ギリシャ人の植民地としては、現在知られる限りでの東限を成すようである。
 インドのギリシャ人の特徴は、共和的な都市国家ではなく、王を中心とした君主制国家を形成したことにある。そうした点では、インド化したギリシャ人王朝だったのかもしれない。
 このインド・ギリシャ人王朝―文献上は「インド・グリーク(王)朝」と呼ぶことが多いが、ギリシャ人を示すグリーク(greek)という語は外来語として膾炙していないので、本連載では「ギリシャ人王朝」と呼ぶことにする―については、史料も極乏しく、今日では半ば忘れられた存在となっている。
 しかし、痕跡としては残され、インドの文明にも何がしかの影響を与えたようである。しかし、西暦1世紀初頭頃に王朝が滅ぶと、ギリシャ人たちは姿を消し、今日のインドにギリシャ人の血を引く集団はいないとされている。
 ただ、インドの分割独立後、現在はパキスタンとなった領域に居住する少数民族カラシュ人は、アレクサンドロス大王の兵士の末裔であるとする伝承を持つことで知られる。たしかに、かれらの形質的特徴は金髪碧眼が多く、インド系諸民族の主流とは異なっている。
 かれらは、果たしてインド・ギリシャ人王朝を形成した古代ギリシャ人の末裔なのだろうか。それとも根拠を欠くただの伝承なのか。そうだとすると、ギリシャ人たちはどこへ消えたのか。本連載では、こうした興味深い問題も絡めながら、歴史のかなたに埋もれたインド・ギリシャ人王朝の実像に少しでも迫ってみたい。