歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第14回)

五 倭語の特徴

 主として百済語の倭方言として形成された倭語とはいかなる特徴を持っていたのだろうか。当時の文字史料は残されていないため、その答えもまた推論となるが、現代日本語の最も直接的な祖語となるだけに、現代日本語にもその特徴は継承されており、そこから倭語を再構することも不可能ではない。

 まず言語形態として、現代日本語の特徴でもある膠着語構造は倭語において確立を見たと考えられる。以前にも論じたように、膠着語構造自体は伽耶語が流入してきた時に先行してもたらされていたのではあるが、伽耶語の影響は全般的ではなかったため、弥生語を膠着的に改変するまでは至らなかったのではないかと推察される。*弥生語がすでに膠着語構造だったと想定するなら別論であるが、私見は弥生語は膠着語ではなく、南方的な孤立語ではなかったかと推察する。
 一方、百済語は高句麗語の百済方言と言うべき位置づけにあったところ、高句麗語は伝統的な語族分類によれば、膠着語ツングース語族に属するとされる。*近年は、ツングース語族とは別に扶余語族を立てる見解もあるが、これによっても扶余語族は膠着語構造に分類される。となると、膠着語構造は百済語を介してその倭方言として出発した倭語にも組み込まれたであろう。
 その点、村山七郎は日本語の膠着語構造を象徴する目的格助詞「を」は、ツングース語族の諸語にも見られる対格接辞‐wəと同語源としているが、そうだとすると、動詞の目的語を表示するこの枢要な接辞は百済語を介して倭語に定着した可能性が高いだろう。

 次に語彙の点であるが、倭語の語彙の中核は百済語(高句麗語)に由来すると想定できる。しかし、明確に百済語として記録されている単語はないため、ここではわずかながらも残されている高句麗語との間接対比で見ると、数詞やその他の身近な単語に関して、日本語との共通性が窺える。

三:密(mil) み
五:干次(uc) いつ
七:難隠(nanun) なな
十:徳(tok) とお
兎:usaxam うさぎ
口:kuc くち
谷:tan たに
鉛:namr なまり

 さらに犬(いぬ)が、ツングース語族のindahun(女真語)、ina(エヴェンキ語)などと同語源であると見られることは、類推的に百済語もこれに近い単語を擁していたと考えられるところである。
 数詞や兎あるいは犬のように身近な動物に関する単語の共通性が高いことは、倭語と百済語の共通語彙は元来相当豊富であったであろうことを推測させるに十分である。

 ところで、日本語が南方系に同定される語彙のクラスターを持つことは以前の回で見たが、これを弥生語からの継承と見るか、それとも百済語の語彙にこうした南方系要素が豊富に含まれていたと見るかは難問である。
 百済高句麗支配層の一部が馬韓領域まで南下・建国し、馬韓をなし崩しに征服・併合して領域国家に発展したものであるから、百済語には馬韓語が相当に取り込まれていたと見られるところ、馬韓朝鮮半島でも西南部をカバーするので、その南方的習俗とともに、言語にも南方的要素が認められたとしても不思議はない。
 しかし、弥生語の保続性を正面から認めるならば、現代日本語彙にも残る南方的要素は百済語が転訛して倭語が形成されるに際して弥生語彙を多く摂取した痕跡として理解されることになるだろう。ここではその線で理解しておくが、絶対のものではない。

 こうしてみると、倭語は百済語を基本としつつ、そこに伽耶語の先行流入によって変容されていた可能性のある弥生語も取り込まれて形成されたと考えられる。その結果、北方系の言語形態をベースとしながら、南方系語彙が複合的にビルトインされた独自の言語が誕生することとなった。