歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第5回)

二 縄文語の生成と行方③

 前出村山説によると、日本語は縄文時代にもたらされた南方系オーストロネシア語族系の言語が後続の弥生時代にもたらされた北方のアルタイ語系、中でもツングース系言語によって系統的に変容させられ(特に膠着語的文法構造)、混合言語の性質をもって現代にまで至ったとされる。
 ただ、村山がとりわけ集中的に取り組んだ基層語彙の南方的要素の内容を見ると、その再構過程は複雑で、相当な苦心の跡が見られる。少なくとも日本語を直接にオーストロネシア語族に分類し直すことができるほど明証的な系譜関係ではなく、異論の余地も残す検証となっている。現代語にも残されているこのオーストロネシア語族的要素はかなり古層的で、オーストロネシア語族そのものよりも古く、かつより広い南方祖語に基因するのではないか、とも推論できるところである。

 ここで注目されるのは、従来の語族論よりも広い範囲で語族を想定するいくつかの新理論である。例えば、従来は別系統とされてきたオーストロネシア語族タイ語に代表されるタイ‐カダイ語族の内的関連性を認め、「オーストロ‐タイ語族」を想定する見解がある。さらには、このオーストロ‐タイ語族を含み込み、かつベトナム語に代表されるオーストロアジア語族及び中国の少数民族ミャオ族・ヤオ族の言語に代表されるモン・ミエン語族を加えた「オーストリック大語族」を想定する見解も出されている。
 このような広域語族の想定は、現代語の分類というよりは現代語の古形あるいは古層にまで遡った祖語レベルでの分類であるので、通常の意味での「語族」ではなく、「祖語族」ととらえたほうがより正確であろう。このような角度から改めて縄文語の南方的要素とされるものをとらえ返すと、それは上掲のより広域的な大祖語族の中から派生してきたものとみなすこともできるように思われるが、その詳しい検証は今後の研究課題である。

 ところで、村山説で日本語と同じくオーストロネシア語族との系譜関係が指摘されていたアイヌ語であるが、実はこの系譜関係も日本語の場合と同様、かなり間接的ないし遠縁的であり、アイヌ語を直接にオーストロネシア語族に分類し直すことが可能なほど明証的ではない。これも上述の大祖語族の理論に照らし合わせれば、前日本語としての縄文語と前アイヌ語とは、共に「オーストリック大語族」のような広域祖語からの分岐とみなせるように思われるのである。
 この点、遺伝子型による人類学的分類でも、縄文人アイヌ人は共通性が高く、さらにアイヌ人に顕著で現代日本人においても特に東日本人に比較的多いY染色体のハプログループD系統はこれら縄文‐前アイヌ語話者の末裔である可能性を残している。

 もっとも、このように縄文語と前アイヌ語とを同系の南方的古言語と把握した場合、それらの後身である日本語とアイヌ語に残された南方的要素に齟齬が見られる理由をどう説明するかが問題となる。前アイヌ語は比較的直線的に近世アイヌ語に再編されたと考えられるので、縄文語のほうが大きく変容ないし絶滅した可能性が高いが、それはいつどのようになされたか。
 この問題を究明する手がかりは、縄文時代に続く弥生時代にもたらされた新言語の系統や内容をどうとらえるかという問題と関わってくるので、ここで稿を改める必要があるのだが、一つだけ議論を先取りしておくと、「弥生語=北方系」という村山説も依拠する有力な定式は再考される必要があるということである。