歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

イエメン―忘れられた近代史(1)

序説

 目下中東ではイラクとシリアのほか、アラビア半島南端のイエメンでも政府軍と反政府武装力の内戦に隣国サウジアラビアを主力とする周辺国―その背後には米欧がある―とイランが干渉する同様の構図が展開されている。
 しかし、イエメンの状況はイラクとシリアほどには注目されておらず、報道も断片的である。もっと言えば、国際情勢に翻弄されつつ、独立‐革命‐分断‐統一‐内戦という激動と苦難の経過をたどってきたこの古国の近代史自体が忘れられてきた。
 古代のイエメンはアラブの原点とも言える場所であった。アラブ人には非アラブ人がアラブ文化を吸収した「アラブ化されたアラブ人;アドナン族」―預言者ムハンマドもこの系列に連なる―に対して、「純粋アラブ人;カフタン族」の二大系統があるとされるが、イエメンは後者の純粋アラブ人の原郷と目されている。
 イエメン古代・中世史は本連載の守備範囲外のため省略するが、イエメンの歴史的な特色は、北部高原地帯を拠点とするシーア派系のザイド派と南部の正統スンナ派が勢力拮抗し、オスマン・トルコの支配に下るまで、イエメンにはいかなる統一的な体制も樹立されなかったことである。このことが今日の内戦の遠因ともなっている。
 ちなみにザイド派とは、シーア派の中でも主流的な十二イマーム派とは異なり、シーア派イマーム第三代フサイン・イブン・アリーの孫ザイド・イブン・アリーとその子孫のみを正統的なイマームと認める宗派で、今日では専らイエメンで勢力を持つ独特の少数宗派である。
 9世紀末頃に成立したザイド派イマーム体制は、長い間統一的な王朝の体をなしていなかったが、時代ごとに周辺大国と競合し、またはこれに従属しながらも、20世紀初頭頃にようやく世襲王朝として確立、同世紀半ばの共和革命で打倒されるまで、北部イエメンの支配的勢力であり続けた。
 他方、近世以降のイエメンはオスマン・トルコ、次いで英国の帝国主義支配にさらされ、東西冷戦時代にはアラブ世界唯一のイデオロギー的分断国家も経験した。これら外部要因もまたイエメン近代史に大きな影を落としている。
 こうした特殊な歴史を反映して、イエメンは開発が遅れ、アラブ世界でも一貫した最貧状態にあり、前近代的因習も根強く残存する。一方で共和革命や独立戦争社会主義体制も経験するなど、半島の周辺諸国には見られない革新的な一面もあり、近代イエメンの性格は複雑である。
 本連載では、こうしたイエメンの忘れられた近代史を概観することを通じて、イエメンが直面する現在を考える契機としてみたい。これにより既連載『イラクとシリア―混迷の近代史』と合わせ、中東における現在的な紛争の歴史的な認識を深めることが可能になるものと信ずる。