歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

天皇の誕生(連載第14回)

第四章 伊都勢力とイヅモ

記紀』神代編の神話は、天孫族出雲族を二大基軸として展開されているが、それほどに枢要なイヅモの来歴とは何か。また有名な「出雲の国譲り」には何らかの史実が投影されているのであろうか。ここに新説の可能性を探る。

(1)イヅモの由来

二系統の「イヅモ」
 「出雲の国譲り」というキーワードからは、イヅモという一つの国が存在していたかのような印象を受けるし、『記紀』の編纂者もそのように印象づけようとしたのかもしれない。
 しかし、そうした一元的なイヅモ像は『書紀』の叙述自体によって事実上否定されていると言ってよい。これに対して、『記』では一元的イヅモ像が貫徹されているが、この違いは数々の政治的な作為が施されているとはいえ、「歴史書」である『書紀』のほうが、皇室を賛美する歴史物語的な性格の強い『記』よりも史実に接近しようとする意識が強いことによると考えられる。
 さて『書紀』によると、イヅモの国を造った大国主神オオクニヌシノカミ](この神には数多くの別名があり、『書紀』では基本的に大己貴神オオナムチノカミ]と呼んでいるが、以下では一般に知られている大国主神で統一する)は、皇祖神・天照大神の弟神・素戔嗚尊(以下、スサノオという)が素行不良のため高天原を追放された後、降り立ったイヅモの国でヤマタノオロチから救った奇稲田姫[クシイナダヒメ]を娶って生んだ子神とされる。
 そして、その大国主神が治める葦原中国[あしはらのなかつくに](イヅモあるいはイヅモを中心とする日本そのもの)を天孫ニニギに治めさせたいと考えた高皇彦霊尊[タカミムスビノミコト]を中心とする高天原の神々は、天孫降臨に先立ち、葦原中国に使いの神を送って大国主神らと交渉し、身を引かせて葦原中国を平定したうえでニニギを降臨させる。これが「国譲り」のあらすじとなっている。
 ここから、イヅモと言えば大国主神を始祖神とする古王国というイメージが生ずるわけであるが、『書紀』は神代編第八段別伝第四書及び第五書でもう一柱、スサノオの子神として五十猛神イソタケル]という神を登場させている。特に第五書によると、スサノオは「韓郷[からくに]には金銀がある。もし我が子の治める国に舟がなかったらよくないだろう」と言い、自分の体毛から生じた木で舟を作るよう言い残して根の国に入ったという。
 この話からすると、スサノオの子イソタケルが治めるもう一つのイヅモの国があり、自分の体毛で作った舟で「金銀がある韓郷」と往来できるようにしたという筋が浮かび上がる。
 このイソタケルはイソタケまたはイタケルとも呼ばれ、今日の島根県大田[おおだ]市にはイソタケルの上陸地との伝承がある五十猛(いそたけ)という地名が残り、JR山陰線の駅名にもなっているほか、イソタケルを祀る五十猛神社も所在する。大田市は旧石見国に属する地域だが、出雲国の西部と接しており、後に詳しく述べるように、出雲西部にはおそらくはイタケルの同音異写であるイタテ神を祀る神社も少なくない。
 こうしたことからすると、これまで大国主神に代表されてきたいわゆる出雲とは別系統のイソタケルを祭祀するもう一つのイヅモの存在が想起されるのである。しかも、この五十猛=イソタケ、イタケルあるいはイタテという神名と前章で見た伊都国王の形象化である五十迹手=イトテとは音韻的に通ずることにも気づかれるであろう。このことが一体何を意味するかについてはしばらく保留しておく。

イヅモの語源
 ここでイヅモという地名の語源からもアプローチを試みてみよう。イヅモは「出雲」という漢字を当てるのが一般であるから、これなら「雲が出ずる所」といった文学的意味合いになろう。
 しかし、スサノオヤマタノオロチを退治し、奇稲田姫を伴って結婚の地となるイヅモの須賀というところに着いた時に詠んだ有名な恋歌、「八雲起つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣造る その八重垣を」の原文で、「出雲」の部分は『書紀』で「伊弩毛」、『記』では「伊豆毛」と表記されている。
 「伊弩毛」は本来の音読みに近づけて読めば「イドモ」であるし、「伊豆毛」も「伊豆」は今日「いず」と読み慣らわされているが、「豆」の本来の音読みは「トウ」であるから、これも「イトモ」と読める。
 そうすると、イヅモとは伊弩(または伊豆)+毛と分節でき、語幹のイド(またはイト)は実にあの伊都国の伊都にも通じてこよう。ではなぜイヅモにまたしても伊都国が関わってくるのかについては次節で解明するとして、語尾のモとは何であろうか。
 古語で「モ」と言えば「面」(オモの音変化)が浮かぶ。「面」は表面を意味するが、そこから一定の「地域」をも意味したのではないだろうか。すると、イドモ(イトモ)とは、「伊都面」であり、直訳的には「伊都地域」といった意味合いになる。*「モ」の意味解析については、必ずしも確信はないので、さらなる検討を要する。
 このようにイヅモ=伊都面と解読してみると、先述しておいたもう一つのイヅモ、すなわちイソタケルのイヅモの存在と結び合って、全く新しいイヅモ史が開けてくるのではなかろうか。
 いささか先走って言えば、、本来のイヅモとはこのイソタケルのイヅモ―言わば「元出雲」―であって、われわれがよく知るオオクニヌシのイヅモは後発のイヅモ―言わば「新出雲」―なのである。