歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

もう一つの中国史(連載第10回)

四 西方諸民族の固有史

 

(1)月氏の展開と移動
 中国の西方は、今日では新疆に包摂されるいわゆる西域を中心として、そこに接続する甘粛省チベット地域、チベットの延長部分とも言える青海省なども含む広大な地方である。
 そのうち、ひとまずチベットについてはさておき、『漢書』で初出する西域について見れば、古代におけるこの地域は印欧語族系諸民族の割拠する所であった。中でも先駆的なのは、中国文献に月氏の名で記録された遊牧民族である。
 かれらの民族的・言語的な系統について定説と言えるものは確立されていないが、言語面からの研究により、かれらが現在は死語である印欧語族系トカラ語の話者であったらしいことが判明してきている。この言語はタリム盆地周辺のオアシス都市国家群でも話されていた言語であり、月氏はこれらオアシス人とも近縁だった可能性がある。
 月氏の勢力圏は今日の甘粛省までせり出していたが、中原の漢民族の争乱に直接介入することはなく、漢民族には翡翠を供給していた形跡がある。こうした交易関係は戦国時代になるといっそう強まり、中原諸侯は月氏から良馬の供給を受けるようにもなった。秦の時代になると、月氏は軍馬と中国絹の交換取引を本格的に開始し、かくして月氏シルクロード交易の先駆者ともなった。
 だが、月氏の西域での優勢は長く続かなかった。従来は間接支配下に置いていた東隣の匈奴が強大化し、月氏の人質の身でもあった冒頓単于により侵攻され、民族離散状態となったからである。
 中国文献によれば、月氏の主流はそのまま匈奴の支配に下ったが、一部は南方(今日の青梅省)へ避難し、小月氏となった。別の一派は西方へ敗走、匈奴の追撃を避けて、最終的に中央アジアのソグディアナ地方へ定着し、大月氏となった。
 かれらはその地にあった大夏(民族系統不明)を滅ぼして、五人の総督(翕侯)による分割統治を開始したが、後にこの五翕侯のうちの一侯が強大化し、統一王朝クシャーナ朝を創始したとされる(異説あり)。
 ちなみに、本格的な匈奴征討を開始した前漢武帝は当初、大月氏と共闘するべく、張騫を使節として派遣するも、当時の大月氏中央アジアで地歩を築いており、リスクの高い匈奴征討作戦への参加を拒否したのだった。
 こうして対大月氏の外交工作は失敗したが、この時に張騫がもたらした地政学的情報は、まさに中国にとって「西域」を本格的に意識し、この地域への領土的関心を高める最初の契機となったのであった。