歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第22回)

十一 情報社会と通俗日本語

 敗戦により帝国言語の時代が終焉すると、日本語は再び日本列島の「島言葉」の地位に戻っていったが、標準語としての日本語の骨格はすでに完成されており、戦前と戦後でラングとしての日本語に根本的な相違があるわけではない。しかし文字言語・音声言語両面において、戦後日本語は日本語史の新たな段階を画している。

 戦後日本語の目に見える最も大きな変化は、漢字に否定的な占領軍の国語政策を契機とする漢字の字体改革である。従来はおおむね康熙字典に搭載された字体に従っていたものを、慣習的に使われていた略字や誤字の類を正式に採用し、簡略な漢字に置換したのである。これにより、識字の妨げとなっていた画数の多い複雑な漢字が排除され、来る情報社会に不可欠な識字率の向上にも寄与したであろう。
 漢字の字体改革と同時に、仮名遣いの改革もなされ、従来の仮名遣い(歴史的仮名遣い)よりも実際の発音に即した表音主義的な仮名遣いに改訂された。この現代仮名遣いは、ローマ字表記論を退けつつ、ローマ字のように発音と文字を極力一致させることで表記を明快に整理したものであり、保守的な文学者たちからの批判を受けながらも、今日に至り、確実に定着を見た。

 また語彙における大きな変化として、英語・英語情報の流入による外来語の急増がある。戦後の占領を経て米国の文化的・学術的な影響が著しく強まると、専門的な術語を中心に、米国経由で英語起源の外来語が一挙に増加していった。同時に、日本独自の和製英語も加わる。この傾向は現在に至るまで続いており、おそらく年々、新規の外来語が累積していっているであろう。

 一方、話し言葉のレベルでも、テレビ放送の開始が日本語史に新たなページを開いた。明治維新とともに政策的に導入された標準語は、教育言語・公用言語として規範性を持たされていたが、ラジオ、続いてテレビの普及は、話し言葉のレベルで標準語の普及を促進し、慣習的な共通語としての日本語を確立させたのである。
 そうした標準語の共通語化過程において、ラジオの時代から音声メディアの中心を担っていた日本放送協会NHK)の果たした役割は小さくなかったであろう。NHKの話し手であるアナウンサーの話す日本語が共通語の正統的な範例とみなされ、模倣されたからである。もっとも、NHKが日本語史において果たしてきた役割については未解明の点も多く、今後の検証が待たれる。
 NHKに続いて設立が相次いだ民間テレビ局は次第に娯楽性を強め、アナウンサー以上に、番組に出演する芸能人と呼ばれる話術者の語りが大衆にも影響を及ぼすようになる。時に品格を欠くこともあるかれらの語り口や口癖がそのまま流行語となることも少なくなく、かれらの影響力はおそらく語りのプロであるアナウンサー以上である。

 さらに1990年代半ば以降、インターネットという新たなメディアが普及すると、従来はマスメディアの受動的な消費者であった大衆が自ら情報発信をするようになってきた。インターネットは基本的に文字情報の集積であるが、近年は動画を通じた音声情報の発信も容易になっている。
 インターネットを通じた発信は個別性が強いため、個人の語り口としてのパロールが前面に出てきやすい。その結果、ラングのレベルでの文法的規範が型崩れし、国語学者が「日本語の乱れ」を慨嘆するような言葉の誤用も増加してきている。学者の警告にもかかわらず、そうした誤用が模倣され、普及すれば、共通語としての日本語はさらに変容していくであろう。

 こうして、共通語としての日本語が定着し、通俗的に変容していくにつれ、かつての標準語はもはや規範的な言語ではなくなり、大衆化された言語手段となっている。それはある種の格調の喪失という犠牲も伴っているが、そうした通俗化は、英語なども含め、共通語として定着を見た言語全般に不可避的に訪れる言語発展段階である。