歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第9回)

四 倭語の形成②

 日本語に北方的な要素をもたらした新たな渡来勢力は、文化的には古墳文化を持ち込んだ勢力と一致する。この勢力は人類学的な形質上は弥生時代に農耕をもたらした先行渡来勢力と大差なかったと考えられるが、言語的には南方系の前者に対して、明瞭に北方系の言語を携えてきたのであった。上代以降の日本人の主流を成しているのは、先住民を混血・吸収したこの後発渡来勢力の末裔たちである。

 このことは、現代日本人のY染色体及びミトコンドリアDNA双方のハプロタイプから裏付けることができる。
 すなわちY染色体にあっては、O1b2である。これは日本人とコリアン双方に最大で40パーセント程度も認められる共通因子である。*これに対し、アイヌ人とも共有するD1bは東日本で多く、西日本では比較的少ない。Y染色体は父系遺伝因子であるから、このことは日本人とコリアンの父系がかなりの程度重なり合うことを示している。
 他方、母系遺伝因子であるミトコンドリアDNAにあっては、D4が最大グループである。これもコリアンと共通する型であり、母系もコリアンと重なり合うことがわかる。沖縄人やアイヌ人と共有するM7aは少数派である。
 ちなみに、中国人(漢民族)の場合、Y染色体ではO2、ミトコンドリアDNAではD5が多いというように、日本人と漢民族とは父系・母系ともにずれが見られるが、コリアンではO2が最多であり、父系が漢民族と相当程度重なることを示している。

 こうしてみると、現代日本人とコリアンは遺伝系譜上も重なる部分が多いことがわかり、日本に北方的な言語・文化を持ち込んだ勢力はやはり朝鮮半島人であったと推定される。
 ところが、現代語同士で比較しても、日本語とコリア語は文法構造の近似性を除けば、語彙の共通性に乏しく、系譜関係を立証できないというアポリアが生じる。
 この謎を解く最もわかりやすい答えは、渡来勢力が日本に「帰化」し、南方系の日本語を吸収して本来の母語であるコリア語を忘却したためというものである。これはある意味常識的で、ナショナリズムとも両立するので、通説的な説明として通りやすい。
 管見によっても、この説明に半分は同意できる。すなわち、現代日本語に南方系弥生語の語彙が多く継承されているとすれば、その限りでコリア語とは語彙の相違が生じるからである。*ただし、コリア語にも南方系要素が認められるという説があることは既述した。
 
しかし、管見によれば、日本語とコリア語の齟齬には、もう一つ別筋からの理由がある。

 この点、筆者は以前、別連載『天皇の誕生』において、この問題に別の角度から一つの回答を示したことがある。
 それをおおまかに要約すれば、古墳文化をもたらした勢力の故地は朝鮮半島南部であるが、区分すれば初期は伽耶諸国、次いで百済ということになる。そして最終的に日本の天皇家を頂点とする支配層に納まるのは、百済王族の一派であったと説いた。
 この仮説に沿って言語移動を考えると、最初に持ち込まれたのは伽耶語であったが、最終的には百済語が主流となり、少なくともある時期までは、宮廷における公用語百済語(その倭国方言)であったということになる。

 これに対して、現代コリアの基層には新羅語があるため、伽耶語/百済語の系譜を引く日本語とコリア語は近似していながら相違するという微妙な関係を結果したと考えられるのであるが、ここでまた別のアポリアにぶつかる。それは伽耶語や百済語は絶滅言語となって久しく、それを復元するだけの言語史料が一部の地名や人名を除き、存在しないことである。しかし、これについては中国側の同時代史料や言語地理的な推察に基づいてその概要を推論することは可能である。