歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

抵抗の東北史(連載第1回)

前言

 2011年3月の東日本大震災で最も甚大な被害を蒙ったのが、東北地方であった。その際に被災民たちが示した不屈の忍耐強さは世界で日本人の精神性として賞賛されたが、この賛辞は実のところ、あまり正確とは言えなかった。震災の時に示されたのは、「日本人」全般の精神性というよりは、「東北人」の精神性だったとみるのが、正確である。
 現代のいたって平板な広域行政区分では六つの県から成る東北地方は、歴史的に見れば日本本州の北の辺境地帯であり、かつては西日本とは民族的・文化的にも異なる独自の地域であった。中央政権の所在は西から東、東から西、そして再び西から東へと幾度も移動したが、時代ごとに、東北人は様々なかたちで中央政権に抵抗を示した。
 千年を超える歴史的な時間をかけた中央諸政権による東北征服・統合政策によって、東北地方は現在のような姿に定着したのだったが、そこに至るまで、東北地方は中央政権にとってはまさに本土最大の抵抗拠点であった。
 だからというわけではないが、災害復興―特に生活再建―に対する現代の中央政府の取り組みも迅速・充分とは言えず、どこか渋々とした観があるのも、東北をいまだもって周縁の地とみなす視線が残されているためではないか―。仮に東日本大震災の被災中心地が東京を含む関東地方であったなら、政府はもっと大急ぎで復興を進めたに違いない。通称ではあるが、「東日本大震災」という言い方も、被災が圧倒的に東北地方に集中した事実からすると、ポイントを外したぼかし表現のように思えてくる。
 ともあれ、東北の歴史的な抵抗の精神は現代の統合された東北人にも基層的に受け継がれており、甚大な災害に直面した際の不屈の忍耐強さも、歴史的な抵抗性のかたちを変えた現れとも言える。本連載では、そうした東北地方の抵抗性に焦点を当てつつ、東北史を先史時代から始めて通史的に鳥瞰する。これは沖縄・北海道史に続く、もう一つの日本辺境史である。