歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

ノルマンディー地方史話(連載第7回)

第7話 愛妾アルレット・ド・ファレーズ
 
 ノルマンディー公ロベール1世「悪魔公」は、どういうわけか正式の妃を持たなかった。持とうとしなかったのか持てなかったのかは判然としない。とはいえ、女性に無関心だったわけではなさそうで、アルレットなる出自不詳の娘と関係を持ち、少なくとも一子をもうけている。
 アルレットの父の職業に関しては皮なめし職人説から公の侍従説まであるが、決定的なものはない。西洋の有力封建領主の妻の出自がこれほど不明な例は珍しい。貴族出自ならば何らかの手がかりとなる記録が残されるはずであるから、職業は何であれ、アルレットの父の階級が相当に低かったことは間違いない。そのため、アルレットはその出身地ファレーズにちなんで、アルレット・ド・ファレーズと呼ばれる。

 

 伝承によれば、ロベールは公の居城となっていたファレーズ城の塔の屋根からアルレットを見初め、城内に連れ込もうとしたことがなれ初めという。このような出会いからすると、アルレットは城勤めか出入りの下女だったように見える。しかしアルレットは一時の戯れの相手を拒否し、妻として正門から迎えるよう求め、彼女に惹かれた公も応じたとされる。
 この伝承が真実とすれば、アルレットは封建時代の女性にしてはよほど自己主張の強く、勇敢な女性であったようだ。要求を通した彼女は、ロベールとの間に子をもうけるが、それこそが後にイングランド征服に成功し、イングランド王ウィリアム1世となる「征服王」ギヨームであった。ギヨームを産んだことにより、アルレットは結果的に、西洋史を大きく変える母体の役割を果たしたことになる。

 
 アルレットは要求を通して「妻」として迎えさせたとはいえ、やはり身分違いからか正式の婚姻には至らなかったようで、ギヨームは「庶子王」の蔑称も付けられた。もしロベールが正妃を迎えていたら、ギヨームが世子となることはなかったかもしれないが、ロベールは結局、正妃を迎えないまま、エルサレム巡礼からの帰還途中に病没する。
 ちなみにロベールにはもう一人アデライードという娘がいたが、彼女もアルレットとの間の子かどうかについては議論がある。アルレットの子だとすれば、アルレットとロベールの関係は一時的ではなかったことになる。
 ある伝承によれば、ロベールはアルレットを深く愛したが、身分違いから正式に結婚できないことを哀れみ、自身の懇意の貴族と結婚させたという。その相手がモルタン伯エルリュアン・ド・コントヴィルなる人物である。

 
 エルリュアンの出自も不確かであるが、ロベールの時代に台頭していた小領主の一人であろうか。彼は後にコントヴィル子爵となっているが、これは義息ギヨームによる論功的な授爵と見られる。
 実のところ、アルレットとの関係も正式な婚姻なのか愛人関係なのかは不確かなのだが、いずれにせよ二人の間には、オドーとロベールという二人の息子が生まれた。ギヨームの異父弟となるこの二人は後に彼のイングランド征服作戦で重要な役割を果たし、オドーはケント伯、ロベールはコーンウォール伯に叙せられている。この点でもまた、アルレットは意図せず歴史的貢献を果たした。
 かくして歴史的には「ノルマン征服の母」とも言えるアルレットであるが、その正確な没年も不詳というのは低い出自身分ゆえの哀しさであろうか。