歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

ロマニ流浪史(連載第3回)

二 もう一つのロマニ?:ドム民族

 
 ロマニの起源論を錯綜させる要因として、今日でもエジプトを中心に北アフリカ・中東・西アジアに広く分散するドムと呼ばれる民族集団の存在がある。ドムもロマニと同様、印欧語族インド語派に属する言語(ドマリ語)を話し、ロマニと共通の移動生活や芸能文化を持つ点で、ロマニの近縁集団と見られてきた。
 中でもエジプトにドムの民族人口が集中しているため、欧州におけるロマニの誤称であったエジプト人を意味するジプシーという語の由来とも考えられるところであるが、ロマニとドムの関係性については定説がない。
 その点、ジプシーの名称由来とは逆に、ドムはロマニが中東へ再移動した分岐集団とする説もあったが、ドマリ語の研究から、ドマリ語はロマニ語とは近縁ながら別言語であることが解明されたため、ロマニとドムも別個の民族集団であると考えられるようになっている。
 一方で、ロマニ語とドマリ語は共に今日のヒンディー語が喪失した古語法を今に残しているなど、共有する分も少なくなく、同時期に並行・交錯していたことを示す痕跡も認められる。
 そうした点からすると、ロマニとドムは両者は全然無関係でもなく、共にインド亜大陸を原郷とし、紀元5世紀ないし6世紀頃から繰り返し生じた西方への民族移動の波から生じた移民集団に属しているという点では、近縁の二大インド系移動民族集団と言えるようである。
 大まかに言えば、インドから西アジアを経由してまずは東欧方面へ移動した欧州ルート移動民がロマニとなり、一方、中東・北アフリカルート移動民はドマとなったと切り分けることができるかもしれない。
 ちなみに、ドマが北アフリカから地中海を渡りスペインなど南欧へ再移動した可能性もあり、これがエジプト人を意味するジプシー呼称を生んだと考えられなくもない。実際、スペインにはヒタノスと呼ばれるロマニ系集団が集住し、かれらは北アフリカからジブラルタル海峡を渡って移住してきたとする伝承があるという。
 いずれにせよ、両ルートの共通起点に位置するのはペルシャ(イラン)とトルコであり、この地はインド亜大陸を脱した集団の中継点でもあった。特にトルコはエジプトに次ぐドムの民族人口を擁することから、ドムの相当部分は西アジアにとどまったことが窺えるが、ロマニは西アジアにとどまることなく、東欧方面へ移動していったと考えられる。