歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第3回)

二 フェニキア人・ギリシャ人の植民とシチリア

 シチリアとマルタにおける本格的な文明時代の始まりは、フェニキア人・ギリシャ人の植民活動によってもたらされる。特にシチリアには紀元前8世紀頃から両民族の入植が開始されるが、入植時期はフェニキア人がやや先行したようである。
 フェニキア人の言語はアフロ‐アジア語族セム語系に属し、ヘブライ語とともにカナン諸語に包含される。フェニキア人はシチリア島西部に入植し、代表都市パレルモを建設した。当時の都市名はフェニキア語で「花」を意味するジズといった。
 やがてフェニキア人の拠点は北アフリカの植民都市カルタゴに置かれるようになり、シチリア島西部のフェニキア都市もカルタゴの覇権領域に組み込まれた。やがて、フェニキアカルタゴ人は、フェニキア人にやや遅れてシチリア島へ渡来してきたギリシャ人とシチリアの領有をめぐって数世紀に及び抗争するようになる(シケリア戦争)。
 シチリアへ渡来してきたギリシャ人は、ドーリス人と呼ばれる系統に属しており、ギリシャ本土ではコリントスやスパルタの建国民族であるが、このうちコリントス人の一部がシチリアへ移住し、シラキュサイ(シラクサ)をはじめとする多数の植民都市を建設した。
 これらドーリス系ギリシャ人がもたらした言語は古代ギリシャ語ドーリス方言と呼ばれるものであり、シラキュサイをはじめとするシチリアギリシャ植民都市では共通語として使用されていたと考えられる。その影響は先住民にも及び、シケル語などもギリシャ文字で記述されるようになった。ジズも、ギリシャ語で「すべて港」を意味するパノルモスと呼ばれ、やがてパレルモに転訛した。
 ギリシャ語起源の単語はロマンス語系の現代シチリア語の単語の中では15パーセント弱を占めるにすぎないが、順位としてはラテン語起源に次いで二番目であるから、ギリシャ語の影響は基層的なレベルでは相当のものだったと言える。
 ただし、現代シチリアの言語分布を見ると、ギリシャ語は北東部の都市メッシーナ(旧ギリシャ植民都市メッセネ)のごく小さなギリシャ人コミュニティーに残されているにすぎない。おそらくは、後にシチリアがローマの版図となり、ローマ化される中でギリシャ語はラテン系の新言語の中に吸収されていったのであろう。
 他方、フェニキア語については、現代シチリア語にその痕跡は見られない。その理由は、フェニキア人の入植はギリシャ人よりも限定的であったこと、最終的にローマに敗れてシチリアを放棄したことによるものと思われる。