歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(16)

五 9・11事件とその後

カルザイ政権の10年
 9・11事件後の有志連合軍の攻撃でターリバーン政権が崩壊すると、国連の支援―実質は米国の影響下―で、暫定行政機構が設立され、ハミド・カルザイが議長に就任した。
 カルザイはザーヒル・シャー国王を支持したパシュトゥン系有力政治家一族の出で、内戦中はムジャーヒディーンに戦闘参加はせず、パキスタンを拠点に資金提供者として活動した。有力部族長でもある彼は米国の協力者として急浮上し、暫定政権トップに据えられたのであった。04年には正式に大統領に就任し、09年の再選をはさんで10年にわたり政権を維持した。
 カルザイ大統領は保守的ながら、海外で近代教育も受けた知識人でもあることを反映し、その政権は近代化を受容する穏健なイスラーム主義政権という性格を持った。そして米国の軍事的な後ろ盾のもとに長期に及ぶ内戦で疲弊した国土の回復と崩壊した国家機構の再建を課題としたが、それに立ちはだかったのが、パキスタン領内に退避し、カルザイ政権を米国の傀儡とみなす反政府武装組織として破壊活動を継続するターリバーンであった。
 他方、09年に発足したアメリカのオバマ政権は01年の開戦以降の作戦で2000人近い戦死者を出していた米軍を2011年7月以降撤退させる方針を示した。11年5月には逃亡中のビン‐ラディン容疑者を米軍特殊部隊がパキスタン国内で射殺したと発表されたが、9月には和平交渉機関の長に就任していたラバニ元大統領がターリバーンにより暗殺され、和平交渉は頓挫、撤退プランは危うくなった。
 米軍撤退を急ぐオバマ米政権とカルザイ政権の関係もこじれ、13年にはアフガンの頭越しにターリバーンとの交渉を試みたオバマ政権にカルザイ政権が反発し、和平交渉は暗礁に乗り上げた。そうした中、14年には任期満了をもってカルザイ大統領が退任、新たな大統領選でアシュラフ・ガニーが当選した。
 これはアフガニスタン共和制史上初の平和的な政権交代としての歴史的意義を持った。ガニー新大統領は世界銀行での勤務経験を持ち、暫定政権で財務相としても評価の高かった国際派テクノクラートである。このような履歴者がトップに就くのは、近年国家再建中の途上国でよく見られる現象であり、その成否が注目される。
 2014年は治安権限が国際治安支援部隊からアフガニスタン政府に返還された画期でもあるが、オバマ政権は15年、米軍のアフガニスタン駐留を16年以降も継続する方針に転換した。これは同政権が任期内でのアフガニスタン和平を断念し、次期政権の宿題として引き渡したことを意味している。
 これに対するターリバーン側では、かねて逃亡中だった最高指導者オマル師が13年に病死していたことが15年になって公式発表された。これをめぐってターリバーン内部でも動揺と新指導部への反発が見られ、ビン‐ラディンの死亡によるアル‐カーイダの弱体化とあいまって、中東のイスラーム過激派組織イスラーム国がアフガニスタンにも浸透する動きを見せている。こうして、アフガニスタン情勢は中東情勢とも連動し、混沌としてきている。
 見てきたように、アフガニスタンの近代は大国の覇権主義によって、また国家の枠に収まり切らない伝統的な部族主義によっても大きく引き裂かれ、依然として修復できないままである。国家なるものの暴力性と限界性とが最も露にされているのが、アフガニスタン近代史であるとも言える。(連載終了)