歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

私家版アイヌ烈士列伝(連載第2回)

二 タナカサシ(?‐1529)/タリコナ(?‐1536)

 コシャマインの戦いの後、鎮定に功労のあった蠣崎氏の渡党首領としての地位が明瞭になったが、まだアイヌ側との交易利権をめぐる正式な協定もなく、アイヌ側では蠣崎氏は相変わらずある種の侵略者とみなされていたようである。
 そのため、コシャマインを射殺した蠣崎信広が死去し、嫡男の光広が跡を継ぐと、アイヌ側の攻勢が再び強まり、和人館がたびたびアイヌ勢に襲撃されるようになる。そうした中でも、光広晩年の1512年に起きた蠣崎氏拠点・松前大館への襲撃事件は最大級のものであった。
 ショヤとコウジの兄弟に率いられたアイヌ側の激しい攻勢に対し光広側は劣勢に立ち、陥落寸前のところ、兄弟を酒宴に招き、飲酒させて謀殺するというあざといやり方で辛勝したとされる。ショヤとコウジの兄弟は渡島半島東部の首長兄弟とされるが、その実像は不詳であり、烈士として記述できるだけの情報がない。
 いずれにせよ、ショヤ・コウジ兄弟蜂起の後、またしばらくアイヌの攻勢は弱まり、次は蠣崎氏側が光広の子・義広に代替わりしてからである。中でも、1529年の渡島半島西部セタナイ(現・北海道瀬棚郡)の首長タナカサシによる南下は脅威となったため、義広は配下の工藤兄弟に命じてタナカサシ本拠を先制攻撃させるも、藪蛇となり、兄の祐兼は戦死した。
 怒ったタナカサシが反攻に転じ、蠣崎氏副城の勝山館を攻め、義広を包囲すると、追い詰められた義広は父と同じ手を使い、偽の和議を申し入れ、勝山館に賠償品を受け取りにきたタナカサシを射殺し、辛勝した。
 この謀殺は尾を引き、7年後の1536年、タナカサシの娘婿・タリコナは妻から父の敵討ちを強く勧められ、復讐戦に立ち上がった。しかし、またしても義広の策略に乗せられ、偽の和睦の酒宴で、夫婦ともども斬殺されたのであった。
 こうして、タナカサシ・タリコナの義父子は蠣崎氏の謀略によって殺害され、かえって蠣崎氏の立場を強める結果となった。ショヤ・コウジの兄弟以来、アイヌは騙し討ちに弱い性格を示しているが、これは見方によっては、義を信じるアイヌの民族性を表しており、それを蠣崎氏側が弱点として利用したとも言えるところである。
 また、タリコナの復讐戦では、実名は知られていない妻が影の主役となっており、偽の酒宴にも夫婦ともども招待されているところから、タナカサシの娘という地位を持った彼女もまた女傑的烈士に加えるべきかもしれない。