歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2016-01-01から1年間の記事一覧

仏教と政治―史的総覧(連載第19回)

六 中国周辺国家と仏教 日本への伝来 日本への仏教伝来は、中国から直接ではなしに、百済を通じた間接的な伝来であった。当時、日本は大陸中国への朝貢が途絶えた状態であり、中国からの直接の伝来ルートがなかった一方で、百済とは極めて親密な関係にあった…

弥助とガンニバル(連載第1回)

序 本連載のタイトルに表れる弥助とガンニバルは、歴史上の人物として全く無名というわけではないが、頻繁に話題になるような人物ではない。共通するのは、どちらもアフリカ人であること、そして奴隷身分から解放され、縁もゆかりもない東の国で武人として活…

仏教と政治―史的総覧(連載第18回)

六 中国周辺国家と仏教 朝鮮への伝来 中国の東で接する朝鮮半島への仏教の伝播も比較的早くに起こっている。中でも今日の中国東北部までまたがる広域な領土を持った高句麗である。高句麗には、小獣林王時代の372年、当時五胡十六国中最有力だった前秦の皇…

仏教と政治―史的総覧(連載第17回)

六 中国周辺国家と仏教 ベトナム諸王朝と仏教 中国で独自の発展を遂げた仏教―中国仏教―は、中国を新たな起点として周辺国へ伝播していくが、その最初の地は南部で接するベトナム(ただし、カンボジアとの結びつきが強い中・南部は除く)であった。 もっとも…

仏教と政治―史的総覧(連載第16回)

五 中国王朝と仏教 仏教の完成と衰退 道教を国教としたため、仏教の地位が後退した唐の時代ではあったが、末期を除いて仏教が弾圧されることはなく、唐の時代は中国仏教の完成期と言ってよい時代であった。ただし、南北朝時代に芽生えた末法思想の系譜を引く…

日本語史異説―史的総覧(連載最終回)

十二 悲しき言語―日本語 現存言語で、1億人を超える使用者を持ちながら、一国でしか公用語として用いられていない言語は日本語くらいしかない。*インドネシア語も類例に属するが、使用者の多くは第二言語としてのものである。その意味で、日本語は世界最大…

仏教と政治―史的総覧(連載第15回)

五 中国王朝と仏教 廃仏と崇仏の狭間で 南北朝時代から五代十国時代にかけての中国仏教の特徴として、為政者による廃仏と崇仏の間を揺れ動いたことが挙げられる。この時期における大規模な廃仏は四度あるが、その初例は北朝北魏の3代皇帝太武帝による446…

日本語史異説―悲しき言語(連載第22回)

十一 情報社会と通俗日本語 敗戦により帝国言語の時代が終焉すると、日本語は再び日本列島の「島言葉」の地位に戻っていったが、標準語としての日本語の骨格はすでに完成されており、戦前と戦後でラングとしての日本語に根本的な相違があるわけではない。し…

仏教と政治―史的総覧(連載第14回)

五 中国王朝と仏教 仏教の伝来と受容 後代、東アジア全域への仏教伝来の拠点となる中国の仏教は、シルクロード経由で西域から伝来したものであることは確実であるが、伝来の正確な日付までは確定していない。考古学的な証拠によると、後漢時代の西暦1世紀代…

日本語史異説―悲しき言語(連載第21回)

十 帝国言語の時代 標準語という形で、さしあたり国内の方言抑圧に成功した日本語は、続いて海外に進出していく。これは、明治政府の帝国主義的膨張に伴う言語輸出として行なわれた。その嚆矢となったのは日清戦争勝利の結果、獲得した台湾であった。*琉球…

仏教と政治―史的総覧(連載第13回)

四 中央アジア諸王朝と仏教 西域諸国と北伝仏教 今日、日本をはじめ、東アジアで主流を成す大乗仏教はガンダーラに発し、北方ルートで中国を経て伝来したことから、北伝仏教とも呼ばれるが、その伝来ルートについて確実な定説は見られない。 大雑把には、ク…

日本語史異説―悲しき言語(連載第20回)

九 標準日本語の特徴 現在では共通語として全国的に通用し、日本人にとっては空気のように当たり前になっている標準日本語だが、この言語は純然たる計画言語ではないにせよ、かなり人為的に作り出された言語として、いくつかの特徴を持っている。 まずそれは…

仏教と政治―史的総覧(連載第12回)

四 中央アジア諸王朝と仏教 クシャーナ朝と大乗仏教 インド‐グリーク朝が衰退・分裂した後に、その地で台頭してきたのは、イラン系遊牧諸民族であった。初めはパルティアであり、紀元後間もなく、当地に残るギリシャ人勢力残党を駆逐したのは、かれらであっ…

仏教と政治―史的総覧(連載第11回)

四 中央アジア諸王朝と仏教 インド‐グリーク朝と仏教 仏教創始者・釈迦の出身地は北インドであったから、仏教がさらに北方へ伝播されることは自然な流れであった。その点、マウリヤ朝のアショーカ王は今日のアフガニスタンを中心とするガンダーラの征服を通…

日本語史異説―悲しき言語(連載第19回)

八 日本語の分化と統一 ある言語が支配的言語としていったん定着すれば、日常の口語としても常用され、しかも口語体の性質として方言分化が必至である。日本語の場合は、前段階の倭語の段階からすでに方言分化は進行していたが、日本語がひとまず確立された…

日本語史異説―悲しき言語(連載第18回)

七 琉球語の位置づけ 日本語の発達を考えるうえで無視できない個別問題は、琉球語の位置づけである。琉球語は基本的な構造や語彙において、本土の日本語とかなりの共通点を持ちながらも、独自の発音体系や語彙も擁するという微妙な位置にあるため、方言なの…

仏教と政治―史的総覧(連載第10回)

三 スリランカの仏教化 植民地化と仏教の消長 スリランカ仏教は、16世紀のポルトガル人の到来により、大きな転機を迎える。ポルトガルは当時、西海岸で有力だったコーッテ王国や北部のジャフナ王国への攻勢を強め、植民都市コロンボを中心にスリランカ支配…

仏教と政治―史的総覧(連載第9回)

三 スリランカの仏教化 仏教王朝の確立 仏教を受容したアヌラーダプラ王朝は古く前6世紀代におそらくはベンガル地方から移住してきた集団によって樹立され、前回見たマヒンダ僧正の渡来・布教によって仏教を受け入れて以降は、ぶれることなく、南伝仏教の中…

仏教と政治―史的総覧(連載第8回)

三 スリランカの仏教化 マヒンダの渡来 今日、インドを軸に地政学上の南アジアを構成するネパール、ブータン、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、モルディブの7か国のうち、仏教徒が多数を占めるのは南端の島国スリランカと北辺の内陸国ブータンに限…

日本語史異説―悲しき言語(連載第17回)

六 日本語の誕生と発達③ 漢字を当てた日本式表音文字体系の万葉仮名からより簡略な仮名文字が発明されたのがいつのことか、明確には判明していない。奈良時代の末頃には漢字を崩した草書体が散見されるというが、正規文字としての使用は平安時代に入ってのこ…

日本語史異説―悲しき言語(連載第16回)

六 日本語の誕生と発達② 前日本語としての無文字の倭語から文字体系を備えた日本語への発展を促進するうえで架橋的な役割を果たしたのは、上代日本語の表記に用いられたいわゆる万葉仮名であった。上代日本語とは誕生したばかりの日本語であり、そこにはそれ…

仏教と政治―史的総覧(連載第7回)

二 インドにおける仏教政治 ヴァルダナ朝とパーラ朝 ナーランダ僧院が建立されたのはグプタ朝第4代クマーラグプタ1世の時代のことであったが、その40年に及ぶ治世の末期から、アフガニスタンに興った混成的遊牧勢力エフタルによる侵入に悩まされるように…

仏教と政治―史的総覧(連載第6回)

二 インドにおける仏教政治 マウリヤ朝以後の仏教政策 全般的に仏教に傾斜していたマウリヤ朝が滅亡した後、登場したのはマウリヤ朝将軍の出身とも言われるプシャヤミトラがクーデターによって建国したシュンガ朝であった。プシャヤミトラはインド伝統のバラ…

日本語史異説―悲しき言語(連載第15回)

六 日本語の誕生と発達① 前日本語としては最終段階、従って日本語の直接的な祖語となる倭語が確立を見るのはおおむね6世紀代のことと考えられる。この時代はいわゆる古墳時代後期に相当し、この間、畿内の百済系倭王朝は精力的な征服活動によって、その支配…

日本語史異説―悲しき言語(連載補遺)

五ノ二 倭語の特徴(続) 前回、倭語の言語形態や語彙の特徴を見たが、ここで補足的に敬語体系についても触れておきたい。日本人自身がしばしば誤用する敬語体系の複雑さは、現代日本語にも認められる大きな特徴であるが、この特徴は上代日本語にすでに備わ…

仏教と政治―史的総覧(連載第5回)

二 インドにおける仏教政治 アショーカの「法の政治」 仏教は根本分裂の後も、北インドでは引き続き勢力を拡大したが、インドにおける仏教は王朝体制それ自体ではなく、個々の国王の信仰心によって左右される傾向が強かった。マガダ国マウリヤ朝3代アショー…

日本語史異説―悲しき言語(連載第14回)

五 倭語の特徴 主として百済語の倭方言として形成された倭語とはいかなる特徴を持っていたのだろうか。当時の文字史料は残されていないため、その答えもまた推論となるが、現代日本語の最も直接的な祖語となるだけに、現代日本語にもその特徴は継承されてお…

日本語史異説―悲しき言語(連載第13回)

四 倭語の形成⑥ 前回まで、倭語の形成過程で重要な役割を果たした流入言語として伽耶語と百済語とを見たが、実はもう一つ、高句麗語がある。前回見たとおり、百済語は高句麗語の百済方言という性格を持ったが、高句麗語そのものも日本列島に流入している。 …

日本語史異説―悲しき言語(連載第12回)

四 倭語の形成⑤ 倭語の形成に際して、伽耶語に続き少し遅れて流入してきたのが百済語である。これは5世紀頃から百済がライバル高句麗への対抗上、倭に接近し、百済‐倭の関係が緊密化したことで、百済人の渡来者が増大したためである。 その点、筆者は5世紀…

仏教と政治―史的総覧(連載第4回)

一 初期仏教団と政治 ヴァッジ国と根本分裂 釈迦没後、マガダ国の首都ラージャグリハで仏教史上最初の宗教会議である第一回結集を大檀越として後援したのは、かのアジャータシャトル王であったと言われる。この時は、釈迦十大弟子の一人マハーカーシャパを座…