歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2016-01-01から1年間の記事一覧

仏教と政治―史的総覧(連載第3回)

一 初期仏教団と政治 マガダ国と仏教 前回も触れたように、釈迦が布教に力を注いだマガダ国があった地方は、当時インドにおける政治経済的な中心地であったが、一方で、バラモン教的身分秩序が弛緩している地域としても知られていた。釈迦の原初仏教団が目を…

日本語史異説―悲しき言語(連載第11回)

四 倭語の形成④ 古墳時代以降の倭語形成において先行的な基盤言語となった伽耶語とはどんな言語だったのだろうか。残念ながら伽耶語は古代に絶滅言語となり、系統的な文字史料は残されていない。ただわずかに朝鮮三国の歴史を叙述する『三国史記』で、「旃檀…

仏教と政治―史的総覧(連載第2回)

一 初期仏教団と政治 原初仏教団の創立と布教 シャーキャ国のガウタマ・シッダールタ公子、すなわち釈迦の出家動機の宗教的な説明としてよく知られている逸話として、「四門出遊」の伝承がある。すなわち公子が居城の東西南北の四つの門から郊外に出かけた際…

日本語史異説―悲しき言語(連載第10回)

四 倭語の形成③ 倭語の形成において重要な役割を果たした基盤言語として、伽耶語と百済語があると考えられるが、このうち時代的に最初に到達したのは伽耶語であった。というのも、古墳文化を先駆的にもたらしたのは伽耶人だったからである(詳しくは、拙稿参…

仏教と政治―史的総覧(連載第1回)

序 シャーキャ国 キリスト教、イスラーム教と並び世界三大宗教の一つに数えられる仏教は、他の二つの宗教に比べ、俗世間から離脱した脱政治的なイメージが強いが、仔細に見れば決してそんなことはないことがわかる。特に、南アジアから東アジアにかけてのア…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(16)

五 9・11事件とその後 カルザイ政権の10年 9・11事件後の有志連合軍の攻撃でターリバーン政権が崩壊すると、国連の支援―実質は米国の影響下―で、暫定行政機構が設立され、ハミド・カルザイが議長に就任した。 カルザイはザーヒル・シャー国王を支持…

私家版足利公方実紀(連載最終回)

二十三 足利義尋(1572年‐1605年) 足利義尋〔ぎじん〕は最後の室町将軍足利義昭の庶長子であるが、義昭は正室を持たなかったため、義尋が嫡男扱いとなる。だが、彼は1歳の時、父が信長に京都を追放され、幕府が崩壊した後、信長の人質となったうえ…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(15)

五 9・11事件とその後 9・11事件と対米戦争 内戦中は米国からも支援を受けたムジャーヒディーンの外国人義勇戦士から出たビン・ラーディンを指導者に戴くアル・カーイダが過激な反米活動に転じた契機は、91年のイラク戦争(湾岸戦争)で、サウジアラ…

私家版足利公方実紀(連載第18回)

二十二 足利晴氏(1508年‐1560年)/義氏(1541年‐1583年) 古河公方体制終末期の4代足利晴氏・5代義氏父子時代(1535年~83年)は、室町幕府ではおおむね12代義晴から最後の15代義昭にかけての時代と重なっている。すでに見た…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(14)

[E:four] イスラーム主義の台頭 [E:night]ターリバーンの支配 ターリバーンの起源については半ば伝説化されており、詳細は不明であるが、ムジャーヒディーンから派生してきたことは間違いない。その初代最高指導者ムハンマド・オマルはパシュトゥン系元ムジ…

私家版足利公方実紀(連載第17回)

二十一 足利義昭(1537年‐1597年) 室町幕府最後の将軍となった足利義昭は12代将軍義晴の次男として生まれ、幼少の時に興福寺の僧となったが、兄の13代将軍義輝が永禄の変で三好三人衆らに暗殺され、三人衆が擁立した14代義栄も一度も入京でき…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(13)

[E:four] イスラーム主義の台頭 [E:night]軍閥連合政権の破綻 1992年4月に社会主義のPDPA政権が具体的な受け皿のないまま崩壊すると、イスラーム系反政府武装勢力ムジャーヒディーンが首都に殺到し、無政府騒乱状態に陥った。前述したように、同勢力は…

私家版足利公方実紀(連載第16回)

二十 足利義維(1509年‐1573年)/義栄(1538年‐1568年) 足利義維〔よしつな〕は11代将軍義澄の次男である。年齢上は長男であったが、何らかの事情で異母弟の義晴が嫡男たる長男とされたため、当初は将軍候補から外され、京都を出奔した…

日本語史異説―悲しき言語(連載第9回)

四 倭語の形成② 日本語に北方的な要素をもたらした新たな渡来勢力は、文化的には古墳文化を持ち込んだ勢力と一致する。この勢力は人類学的な形質上は弥生時代に農耕をもたらした先行渡来勢力と大差なかったと考えられるが、言語的には南方系の前者に対して、…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(12)

三 社会主義革命と内戦 (8)ソ連軍撤退から政権崩壊へ 1979年のソ連軍侵攻以来、PDPA政権は本来は非主流的な旗派が主導することになったが、最初のバブラク・カルマル政権は優柔不断な性格が強く、内戦終結への道筋を描くことはできなかった。他方、ソ…

私家版足利公方実紀(連載第15回)

十九 足利義輝(1536年‐1565年) 足利義輝は、12代将軍義晴の嫡男として、天文十五年(1546年)、11歳で将軍位を譲られた。しかし当時は義晴が近江に避難中であったため、就任式も近江で執り行われた。実権は義晴が死去する同十九年(50年…

日本語史異説―悲しき言語(連載第8回)

四 倭語の形成① 日本語は文法構造上アルタイ諸語に近い膠着語の性質を持っていることは定説であるが、こうした北方的な言語構造は、いつどのようにもたらされたのか。この点、村山説をはじめ有力な学説は、弥生時代における言語変容の結果と見る点で一致して…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(11)

[E:three] 社会主義革命と内戦 [E:night]内戦の長期化 1978年の社会主義革命以前、アフガニスタン史上近代主義的な大改革は王政時代のアマヌッラー国王による改革、共和革命後のダウード政権による改革と二度あったが、いずれもイスラーム保守層からの強…

私家版足利公方実紀(連載第14回)

十八 足利義晴(1511年‐1550年) 足利義晴は、先代の10代将軍義稙に将軍の地位を追われた11代将軍義澄の子として、幼少期には赤松氏、次いでこれを下克上により破った浦上氏のもとで庇護・養育されるなどの苦労を味わった。 そんな彼に将軍のお…

日本語史異説―悲しき言語(連載第7回)

三 弥生語への転換② 前回、大陸から弥生人がもたらした新しい言語=弥生語は従来前提されてきたような北方系ではなく、それ自体も縄文語とは別系統の南方系ではないかと仮説を立てた。そう考えると、現代日本語にも継承されている南方的要素は縄文系のものと…

私家版足利公方実紀(連載第13回)

十六 足利政氏(1462年‐1531年)/高基(1485年‐1535年) 足利政氏は、古河公方初代足利成氏から生前譲位を受けて2代古河公方に就任した。享徳の乱を戦い抜いて古河公方の地位を確立した父から有利な条件で家督を譲られたはずの政氏であっ…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(10)

[E:three] 社会主義革命と内戦 [E:night]革命からソ連軍事介入へ アフガニスタンの1973年共和革命から78年の社会主義革命までの過程を見ると、ロシア革命の経過とよく似ている。第一次73年革命がロシアでは帝政を打倒した2月革命に相当するものだと…

私家版足利公方実紀(連載第12回)

十四 足利義澄(1481年‐1511年) 足利義澄は、明応二年(1493年)、細川政元が主導したクーデター・明応の政変により先代で従兄に当たる10代将軍足利義材〔よしき〕が追放された後を受けて11代将軍に擁立された。しかし、このような不正常な…

日本語史異説―悲しき言語(連載第6回)

三 弥生語への転換① 弥生時代は大陸、特に朝鮮半島から農耕をもたらした渡来勢力により拓かれたというのが定説となっている。この時、言語体系も大きく転換され、コリア語とも共通する膠着語的な構造が刻印され、現代の日本語にも継承されていると説かれる。…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(9)

三 社会主義革命と内戦 [E:night]1978年社会主義革命 前回触れたように、1973年の共和革命はイスラーム保守勢力を後退させ、マルクス‐レーニン主義の人民民主党(以下、PDPAと略す)が台頭するきっかけを作った。しかし、共和革命を主導したダーウー…

私家版足利公方実紀(連載第11回)

十三 足利成氏(1438年or34年‐1497年) 足利成氏〔しげうじ〕は、永享の乱で敗死した第4代鎌倉公方足利持氏の遺児であった。乱による混乱からか、生年が確定していない。しかし、乱後の延長戦として起きた結城合戦で結城氏に担ぎ出されて敗北、幕…

日本語史異説―悲しき言語(連載第5回)

二 縄文語の生成と行方③ 前出村山説によると、日本語は縄文時代にもたらされた南方系オーストロネシア語族系の言語が後続の弥生時代にもたらされた北方のアルタイ語系、中でもツングース系言語によって系統的に変容させられ(特に膠着語的文法構造)、混合言…

私家版足利公方実紀(連載第10回)

十一 足利義政(1436年‐1490年)/義尚(1465年‐1489年) 8代将軍足利義政は父義教暗殺、兄義勝夭折というお家の危機に、8歳で将軍位に就いた。兄が長生していれば将軍になることもなく、数奇者として生涯を終えることもできたろうに、不…