歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2017-01-01から1年間の記事一覧

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第11回)

十一 宣祖・李昖(1552年‐1608年) 宣祖は伯父に当たる先代の明宗の世子が夭折し、他に男子なく、しかも父の徳興大院君も早世していたことから1567年、明宗の死去を受けて14代国王に即位した。10代での即位から40年余りに及んだその治世は…

仏教と政治―史的総覧(連載第33回)

十一 近代国家と仏教 チベット「自治」と仏教 チベット仏教拠点のチベットの近代は、それぞれ革命によって樹立された中華民国にソ連という新興国、そして英国という大国による覇権争いに巻き込まれる辛酸を舐めた。 しかし、その間、ダライ・ラマを元首とす…

私家版琉球国王列伝(連載第13回)

十四 尚灝王(1787年‐1834年) 先代の尚成王が幼年のまま没すると、叔父の尚灝〔しょうこう〕が後を継ぐこととなったが、以後の琉球王統は彼の子孫で確定している。1804年の即位時は10代であったが、その後30年にわたり在位し、尚穆王以来の…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第10回)

十 明宗・李峘(1534年‐1567年) 短期の在位で死去した仁宗に代わって13代国王に立ったのが、年の離れた異母弟明宗であった。彼は、中宗の継室文定王后との間の子であり、即位時まだ12歳であったので、文定が大王大妃となり、垂簾聴政を取った。…

仏教と政治―史的総覧(連載第32回)

十一 近代国家と仏教 社会主義体制と仏教 近代になると、仏教も社会主義体制という新しい政治国家と直面する段階を迎えた。その最初の好例は、世界で二番目―アジアでは最初の―社会主義国家となったモンゴルである。 中世にチベット仏教国として確立されたモ…

私家版朝鮮国王列伝〔増補版〕(連載第9回)

九 中宗・李懌(1488年‐1544年)/仁宗・李峼(1515年‐1545年) 暴君と化した燕山君を廃位に追い込んだ1506年のクーデターは「中宗反正」とも称されるように、新たな11代国王に擁立されたのは燕山君の異母弟に当たる中宗であった。し…

私家版琉球国王列伝(連載第12回)

十三 尚穆王(1739年‐1794年)/尚温王(1784年‐1802年)/尚成王(1800年‐1804年) 14代尚穆〔しょうぼく〕王は、父の先代尚敬王が死去した時はまだ10代と若く、すでに退官していた蔡温が薩摩藩の命により引き続き実質的な宰相…

仏教と政治―史的総覧(連載第31回)

十 東南アジア諸王朝と仏教 タイ系諸王朝と仏教政治 現在、東南アジアで仏教と政治の関係が最も密で、上座部系仏教政治の「大国」と言えるのはタイであるが、元来は精霊信仰が盛んだったタイ族の仏教受容過程については記録が少なく、不明な点が多い。 少な…

私家版朝鮮国王列伝〔増補版〕(連載第8回)

八 燕山君・李㦕(1476年‐1506年) 9代成宗が1494年に死去した後を継いだのは、18歳の世子李㦕であった。年齢的に見て大妃の後見が必要なはずであったが、生母尹氏は去る82年に賜薬を下され、処刑されていた。 弱小両班の生まれながら成宗…

仏教と政治―史的総覧(連載第30回)

十 東南アジア諸王朝と仏教 ビルマ諸王朝と仏教の定着 ビルマ(ミャンマー)は最大勢力のビルマ族をはじめ多民族がひしめく地域であるが、宗教的には早くからほぼ仏教で統一されていた。ビルマ最初の統一的な王朝は、現代ミャンマーでは少数民族であるモン族…

私家版琉球国王列伝(連載第11回)

十二 尚益王(1678年‐1712年)/尚敬王(1700年‐1752年) 12代尚益王は30年間在位した祖父尚貞王の後を受けて即位したが、在位わずか2年で死去し、子の尚敬が継いだ。尚敬王の治世は大飢饉による被害という困難の中で始まるが、尚敬の…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第7回)

七 成宗・李娎(1457年‐1495年) 7代世祖の早世した長男義敬世子の子である9代成宗は8代睿宗が幼児を残して死去した後、祖母慈聖大妃の主導で年少にして王位に就き、成長した1476年までは大妃の垂簾聴政を受けた。この時期には世祖時代からの…

仏教と政治―史的総覧(連載第29回)

十 東南アジア諸王朝と仏教 カンボジア王朝と仏教の変遷 今日の東南アジアで仏教徒の割合が特に高いのはカンボジア、タイ、ミャンマーの三国で、いずれも九割を越える圧倒的な仏教優勢国である。その仏教はいずれも上座部系で共通している。ただ、仏教伝来の…

私家版琉球国王列伝(連載第10回)

十一 尚貞王(1646年‐1709年) 11代尚貞王は先代の父尚質王から比較的安定した王権を承継した。ただ、王宮首里城は先代の1660年に焼失し、まだ再建中だったため、王家の冠婚葬祭場であった大美御殿で即位式を執り行うというハプニングもあった…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第6回)

五 文宗・李珦(1414年‐1452年)/端宗・李弘暐(1441年‐1457年) 世襲を基本とする君主制では、名君の長期治世の後に混乱が起きることは古今東西よくあることだが、世宗大王没後の李朝もその例外ではなかった。 世宗は晩年健康を害していた…

仏教と政治―史的総覧(連載第28回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 清朝支配下モンゴルと仏教 モンゴル本国に当たるモンゴル帝国はオイラト帝国に先立って17世紀前半には衰微した。1603年に即位したリンダン・ハーンは帝国再建を目指して精力的に動いたが、その強権支配が諸部族から反発を招く…

高家旗本吉良氏略伝(連載最終回)

八 吉良義央(続)/義周(1686年‐1706年) 赤穂事件がなければ、吉良家は存続したであろうが、義央はもちろん、吉良家自体も特段話題に上ることもない高家として終わっていたに違いない。赤穂事件は吉良義央を図らずも歴史上の著名人にするとともに…

私家版琉球国王列伝(連載第9回)

十 尚豊王(1590年‐1640年)/尚賢王(1625年‐1647年)/尚質王(1629年‐1668年) 薩摩による侵攻・征服当時の尚寧王は世子を残さず、1620年に苦難の治世を終えて没した翌年、王統は再び本家筋に戻り、5代尚元王の孫に当たる尚…

高家旗本吉良氏略伝(連載第8回)

七 吉良義央(1641年‐1703年) 吉良義央〔よしひさ〕は、先代義冬の嫡男にして高家旗本吉良氏三代目、そして有名な赤穂浪士事件で討たれた当人である。彼が家督を継いだ時、高家吉良氏は祖父と父の功績により全盛期にあった。義央自身も見習いの頃か…

弥助とガンニバル(連載最終回)

九 エピローグ :アフリカ奴隷貿易のその後 弥助とガンニバルは、奴隷貿易システムが生み出した東方のアフリカ黒人武人であり、その後、両者の再来と言えるような例は記録されていない。その意味では、奴隷貿易システムの国際的な広がりを象徴する特異な事例…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第5回)

四 世宗・李祹(1397年‐1450年) 前回太宗の項でも触れたように、世宗は先代太宗の三男であったが、世子だった兄が素行不良のため廃嫡されたことにより、入れ替わりで世子となり、太宗から生前譲位を受けて1418年、4代国王に即位した。 世宗は…

高家旗本吉良氏略伝(連載第7回)

六 吉良義弥(1586年‐1643年)/義冬(1607年‐1668年) 徳川家康の縁戚として近世吉良氏の祖となった吉良義定は関ヶ原の戦いの時はまだ30代であったが、自身は従軍せず、代わりに嫡男義弥〔よしみつ〕が従軍している。義弥は12歳の時、…

仏教と政治―史的総覧(連載第27回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 オイラト王朝とチベット仏教 元朝撤退後のモンゴルにあって、最も熱心なチベット仏教徒となったのはモンゴル族の亜族とも言えるオイラト族だった。かれらはモンゴル西部を本拠地とし、元はテュルク系とも言われるが、チンギス・ハー…

私家版琉球国王列伝(連載第8回)

九 尚寧王(1564年‐1620年) 先代尚永王は嫡男がないまま没したため、後継には甥(妹の子)の尚寧が就くこととなった。尚寧は第二尚氏王朝3代尚真王の長男尚維衡を祖とする大名小禄御殿の4世に当たる王族である。ここで王統が切り替わることになる…

高家旗本吉良氏略伝(連載第6回)

五 吉良義安(1536年‐1569年)/義定(1564年‐1627年) 吉良義安は、吉良氏当主の中で久方ぶりに生没年が確証されている人物である。実際、滅亡しかけていた吉良氏は彼の代で一度再生するのである。そのきっかけは、義安が徳川家康と親交が…

弥助とガンニバル(連載第9回)

八 ガンニバルの子孫Ⅱ ガンニバルの後裔として最も著名なのは、ロシア近代文学者アレクサンドル・プーシキンである。おそらく、彼の存在のおかげでガンニバルの名も後世に記憶されたと言えるかもしれない。プーシキンはガンニバルの息子オシップの娘ナジェー…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第4回)

三 定宗・李芳果(1357年‐1419年)/太宗・李芳遠(1367年‐1422年) 太祖・李成桂の晩年を悩ませたのは、後継者問題であった。王子は8人いたが、本来なら後継者となるはずだった第一夫人神懿王后との間の長男芳雨が隠遁、早世したことから…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第3回)

二 太祖・李成桂(1335年‐1408年) 李朝創始者となる太祖・李成桂の生涯は大きく四期に分けることができる。第一期は、父の子春が死去した後、後を継いで北方軍閥となり、さしあたり高麗の武将として活動する時期である。実は、彼にとってはこの時期…

仏教と政治―史的総覧(連載第26回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 モンゴル帝国と仏教 モンゴル人の原宗教はアニミズムだったが、強大化し、中国大陸を支配するうえで、中国的宗教を利用する実益を認識したようである。そこで、初めは先行のモンゴル系大国・金の治下で隆盛化した道教を実質的な国教…

高家旗本吉良氏略伝(連載第5回)

四 吉良義堯(生没年不詳)/義昭(生没年不詳) 応仁の乱を経て、16世紀の戦国期に入ると、吉良氏本流西条吉良氏の凋落は色濃くなり、義真の子義信から先、数代にわたって生没年不詳者が続く。それでも、義信とその嫡孫義堯までは京都で将軍足利義稙側近…