歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2015-01-01から1年間の記事一覧

イエメン―忘れられた近代史(1)

序説 目下中東ではイラクとシリアのほか、アラビア半島南端のイエメンでも政府軍と反政府武装力の内戦に隣国サウジアラビアを主力とする周辺国―その背後には米欧がある―とイランが干渉する同様の構図が展開されている。 しかし、イエメンの状況はイラクとシ…

イラクとシリア―混迷の近代史(18)

[E:seven] シリア内戦 [E:night]内戦の膠着 シリアにおける「春」は2011年の初頭から静かに始まった。シリアには先行した「ダマスカスの春」の余波が残されており、バッシャール・アサド政権も民主化を一定は受け入れ、野党とも対話する姿勢を示していた…

イラクとシリア―混迷の近代史(17)

[E:seven] シリア内戦 [E:night]ダマスカスの短い春 シリアでは2000年にアサド大統領が急死し、近代シリア最長30年に及んだ長期政権が終焉した。しかし事前の入念な世襲工作が功を奏し、次男のバッシャール・アサドへの権力継承が円滑に行なわれた。こ…

イラクとシリア―混迷の近代史(16)

[E:six] イラク戦争と「内戦」 [E:night]「内戦」の時代へ 第二次イラク戦争終結後は、米英主導の有志国暫定当局がイラクの統治に当たることとなったが、その法的根拠は薄弱で、イラク国民からすればまさに「占領当局」であった。米英ではかつての連合国によ…

イラクとシリア―混迷の近代史(15)

[E:six] イラク戦争と「内戦」 [E:night]第二次イラク戦争 第一次イラク戦争(湾岸戦争)から第二次イラク戦争までには、12年のタイムラグがある。この間はフセイン政権の延命期と言えた。フセイン政権は、圧倒的な力の不均衡の中で行われた第一次戦争では…

イラクとシリア―混迷の近代史(14)

[E:six] イラク戦争と「内戦」 [E:night]第一次イラク戦争(湾岸戦争) 対イラン戦争に「勝利」したフセイン政権は、戦争の傷跡も癒えない中、今度は隣国クウェートへの侵攻・併合というあまりに古典的な侵略行動に出た。クウェートはイラン‐イラク戦争では…

イラクとシリア―混迷の近代史(13)

[E:five] バース党の支配 [E:night]サダム・フセイン独裁体制 イラクのバース党体制では、1979年に一つの転機が生じた。この年、68年のバース党クーデター以来大統領の座にあったバクルが退任し、副大統領サダム・フセインが後継に就いたのだ。この政…

イラクとシリア―混迷の近代史(12)

[E:five] バース党の支配 [E:night]アサド家独裁体制の確立 シリアとイラクのバース党の分裂が確定した1970年代以降、20世紀末までの両国は、ハーフィズ・アサドとサダム・フセインという互いに反目し合いながらも、共通の残酷さと巧妙さにかけては2…

イラクとシリア―混迷の近代史(11)

[E:five] バース党の支配 [E:night]イラク・バース党の支配 “本家”シリア・バース党に対し、後発のイラク・バース党は1963年のクーデターでアーリフ政権の実質的な基盤となるが、間もなく非バース党員のアーリフによる弾圧・排除により、しばらく閉塞せ…

イラクとシリア―混迷の近代史(10)

[E:five] バース党の支配 [E:night]シリア・バース党の支配 バース党“本家”のシリア・バース党が政治の前面に出てきたのは、1963年のクーデター時であった。その後、今日に至るまでの長いバース党支配の契機となったことから、クーデターの日付にちなん…

イラクとシリア―混迷の近代史(9)

[E:five] バース党の支配 [E:night]バース党の台頭 1960年代以降のイラクとシリアでは、バース党という独自の政党が政権党として台頭してくる点で、イデオロギー的には共通の基盤を持つようになる。「アラブ社会主義復興党」を公式名称とするバース党は…

関東通史―中心⇔辺境(跋)

十七 近現代の関東 関東の概念は、これまで概観してきた通史の中で、幾度か変遷している。中世には東北を含めた東日本全域を指したこともあるが、本連載で前提としてきたのは、江戸時代に確立された「関東」の概念である。 すなわち、それは江戸を防衛する箱…

イラクとシリア―混迷の近代史(8)

[E:four] アラブ連合の時代 [E:night]イラク共和革命とその後 1958年にエジプトとシリアが統合されてアラブ連合共和国が成立した時、イラクはまだハーシム家の王政下にあった。アラブ連合の攻勢に危機感を抱いたイラクは対抗上、同じハーシム家が支配す…

イラクとシリア―混迷の近代史(7)

[E:four] アラブ連合の時代 [E:night]アラブ連合の成立 イラクとシリアが独立後の混乱に揺れる中、エジプトでは52年の共和革命で成立した社会主義体制がナセル大統領のカリスマ的指導の下、大規模な社会改革に着手していた。スエズ危機を乗り切った彼は汎…

関東通史―中心⇔辺境(15)

十六 幕末・維新の関東 周知のとおり、江戸幕藩体制は250年以上にわたり揺らぐことなく持続したが、19世紀半ばを過ぎると、にわかに終焉が近づいた。この「幕末」と呼ばれる体制最後の時期、関東は再び中心としての地位を失いかけたことがある。 幕府は…

イラクとシリア―混迷の近代史(6)

[E:three] 独立と混乱 [E:night]独立シリア共和国 フランスの委任統治領とされていたシリアの独立は、難航した。独立交渉自体は1934年に始まったが、フランスは自国の国益を優先し、限定的な「独立」にとどめようと画策していた。これに対し、シリア側で…

関東通史―中心⇔辺境(14)

十五 「政東経西」の近世 今日、首都東京を中心とする関東は、日本の政治経済、そして人口の大半が集中する「一極集中」の緩和が永遠の宿題となるほど偏向した中心地となっているが、このような現象は近代以降、それも主として第二次世界大戦後のことにすぎ…

イラクとシリア―混迷の近代史(5)

スンナ[E:three] 独立と混乱 [E:night]独立イラク王国 英国がハーシム家のファイサル(1世)を擁立して1921年に樹立したイラク王国は英国の保護国としてその間接支配下に置かれたが、30年に更新された新たな英国‐イラク条約で独立が取り決められ、3…

関東通史―中心⇔辺境(13)

十四 近世の関東② 史上初めて江戸を首都に定めた幕府が過去の二つの幕府と異なっていたのは、各地の大名を封建領主として安堵し、領内自治を保障しつつ、大名の布置を中央で人事異動的に統制する形で封建制と集権制とを使い分ける巧妙さにあった。 結果とし…

関東通史―中心⇔辺境(12)

十三 近世の関東① 関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、織豊両氏とは異なり、仮冒の疑い強い源氏系新田氏分家世良田氏の出自を称したため、源氏長者の名義で征夷大将軍に就任し、間接的に鎌倉・室町幕府の継承者として、室町幕府滅亡以来およそ30年ぶりに幕…

イラクとシリア―混迷の近代史(4)

[E:two] クルド人問題 イラクとシリアの近代史を考える上で見落とせないのは、クルド人問題である。クルド人は、イラク・シリア近代史の影の主役である。元来、クルド人は非アラブ系(イラン系)のイスラーム勢力として、中世には十字軍戦争の英雄であるサラ…

関東通史―中心⇔辺境(11)

十二 江戸開府まで 後北条氏が関東を支配した時代は、ほぼ織豊政権の時代に相当する。この時代の特徴は幕府が存在しなかったことである。織豊両氏ともに、室町幕府の滅亡以来、権威を失っていた征夷大将軍の地位をあえて求めず、軍事力を背景に実質的な最高…

イラクとシリア―混迷の近代史(3)

[E:one] 英仏分割統治 英仏は旧オスマン領土のシリア・イラク方面について、戦時中のサイクス・ピコ協定で分割統治を取り決めていたとはいえ、これはなお暫定的な秘密協定にすぎず、その具体化は第一次世界大戦終結後の1920年にイタリアのサンレモで開催…

関東通史―中心⇔辺境(10)

十一 後北条氏の関東支配 享徳の乱後の古河公方が支配する古河府は室町幕府から事実上独立した関東地方政権と化していくが、一方で内紛と分裂に見舞われた。特に第3代古河公方・足利高基とその弟の義明が対立し、義明が1517年に千葉の小弓〔おゆみ〕城…

イラクとシリア―混迷の近代史(2)

[E:zero] オスマン帝国崩壊 イラクとシリアはイスラーム化以前はもちろん、以後も各々固有の歴史を持つが、オスマン帝国の全盛期であった16世紀から17世紀にかけて相次いでオスマン領土に編入されたことで、形式上は一つの「国」となった(地方行政区分…

関東通史―中心⇔辺境(9)

十 古河公方の「独立」 京都の室町幕府と鎌倉府が並立する「東西幕府」体制は、第4代鎌倉公方・足利持氏が幕府の権威を背景に鎌倉府をもしのぐ実力を備えるに至った関東管領・上杉氏及び室町幕府と対立・敗北し(永享の乱)、鎌倉府がいったん廃止されたこ…

イラクとシリア―混迷の近代史(1)

序説 21世紀の幕開けとなった9・11事件以後、開始された「テロとの戦い」が「「イスラーム国」との戦い」に拡大しようとしている現在、主戦場はアフガニスタンというイスラーム世界ではどちらかと言えば辺境の地からイラクとシリアというイスラームの本…

関東通史―中心⇔辺境(8)

九 「東西幕府」の時代 執権北条氏に乗っ取られた鎌倉幕府体制は、承久の乱での勝利により一応全国支配を確立するが、元寇という空前の「有事」対応を機に、北条得宗の独裁が強まり、御家人層の不満が募っていく。 そうした機会をとらえ、閉塞していた朝廷勢…

関東通史―中心⇔辺境(7)

八 鎌倉幕府の成立 源平合戦を制した源頼朝が開いた鎌倉幕府の成立年は、筆者の学校時代には1192年とされ、「いいくにつくろう」という語呂合わせで記憶することが慣例となっていたものだが、近年はそれより早い1185年を成立年とする説が通説化しつ…

関東通史―中心⇔辺境(6)

七 源氏の台頭 後に関東で武家政権を開く源氏は本来、関西の河内に本拠を持った臣籍降下軍事貴族集団(河内源氏)であり、関東で勢力を持ったのは、むしろ平氏系の集団であった。その体制が変容する最初の契機となったのは、平将門の乱からおよそ100年後…